大村発電所 |
写真集その4 |
役目を終えて 大村発電所
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写真集その4(定点写真など)
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大村発電所、写真集その4(定点写真など) このページの写真は、九州電力・大村発電所を遠望したものです。写真その1とその2の2枚(記念誌掲載写真)は、野岳か草場町方面からの撮影と思われます。それ以外は、ほぼ同一の定点写真(立福寺町や野田町方面から)です。 この定点写真は前ページ同様、上野が(横幅2050ピクセルで)約100以上撮影した一部です。極めて個人的なことながら、私は福重幼稚園、福重小学校と郡中学校と併せて10年間の通学期間あるいは社会人になってからも大村発電所は、この角度から見たのが一番多かったような気がします。 ご参考までに、煙突の高さは91mでした。紅白の色は、下から白、赤の順番でその数は白色4、赤色4で、もしも均等の高さ(=長さ)で塗られていたと仮定すると、一つの色の高さは約11mでした。この色の数で解体工事がどこまで進んでいたかおおよその検討はつくかと思います。 話は脇道にそれますが、発電所が稼動していた頃、この煙の方向を見ただけでも大村在住の方はどなたでも、大体の天候は分かっておられました。下記写真2のような煙の向きなら晴れもしくは晴れ模様になる風向きで、同様に写真1なら雨もしくは曇りから雨模様になるのかなと思われる風向でした。 飛行機なら長崎空港(大村空港)へ着陸するのも、写真1の風なら川棚方面から最終アプローチしてきますので左手の窓から、この発電所煙突(91m)や郡岳(826m)が良く見えました。(飛行機は空港離発着は、普通、風下から風上に向かって飛びますから、大村湾ならこの煙の流れと比例して飛行コースも大体同じでした) 下記の写真説明の撮影年月日について、上野が撮影した分はデジタルカメラですから正確です。しかし、記念誌掲載の2枚は撮影年月日が本に記入されていないため、推測も含めて書いていますので、ご参考程度にご覧下さい。また、私が撮った写真は、発電所を中心に相当トリミングしていることと、ホームページ用画像にしているため写真が粗くなっていますので、ご了承願います。 |
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(写真1)は、1、2号機両方稼動時代(1964年〜1976年頃)のものです。写真中央より下側に走っている国道34号線沿いの建物の少なさや大村湾側に突き出た埋め立ての進行状況などから、約12年間続いた1、2号機両方稼動時代でも、相当初期に撮られた写真と思われます。 (写真2)の撮影は、1992年より後で季節は6月(田植え前後)と思われます。なぜなら、写真右側の田んぼの上部あたりにスーパーマーケットが新しく出来ましたが、この店のこの地でのオープンは1992年とのことです。また、この写真は「2号機30周年を記念」して出されている本、年表ページ後の中扉ページ写真(大きさは1/3ページ位)ですから、この記念誌発行年(1994年)に併せて撮影されたのかなあとも推察できます。
(写真4)は、2005年12月22日に撮影しました。12月に雪が降るのは長崎ではそう多くないと思いますが、この日は雪が降った日です。写真3と同様に屋根や田んぼが白くなっています。あと、写真3と違うのは、石炭関係(発電所右側)の施設の解体が進んでいることと、煙突の最上部に解体用の足場が組まれています。まだ、煙突の高さは、91mのままと思われます。 (写真5)は、2006年2月5日に撮影したものです。既に発電所本館は解体が相当進んでいます。煙突も最上部と赤色のスペースが一つなくなっていますので、80m以下だろうと思われます。。 (写真6)は、2006年3月5日に撮影したものです。既に発電所本館は、写真上から見えにくいところまできています。また、煙突も紅白の一番目の色があるだけですから、高くても20数mのところまで解体が進んできました。今まで、この方向から見えていなかった発電所本館先の埋立地右岸も見えるようになりました。 (写真7)は、煙突や発電所本館などの撤去後の2006年3月22日に撮影した写真です。煙突の撤去工事は、3月20日頃にされたようです。なお、発電所施設の完全撤去は、今年(2006年)夏頃と聞いています。 (掲載日:2006年3月10日) |
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