|
中央部:原の馬頭観音、奥側:熊野神社の社殿(境内には他にも石塔類がある) |
<補足説明>
・所在地関係
この原の馬頭観音がある熊野神社は、 大村市街地から行くとしたら国道444号、荒瀬町にある県営バス停の坂口(産直かやぜ、大村純忠史跡公園のある周辺)から目測で約500メートル強、逆に萱瀬方面から市街地に向かう場合は、県営バス停の石割場から目測で約130メートルの位置関係になります。
国道から南東側(山側方向)にある階段を登りますと、右側写真のような本殿と境内があります。原の馬頭観音は、社殿に向かって左側(北北東側)にあります。
大村市内にある他の馬頭観音と同様ですが、この原の馬頭観音のように原郷(町)の中心というべき熊野神社の境内入口付近にある例は、江戸時代ならば少なかったかもしれません。
ただし、江戸時代や近代でも、神社や権現の境内にも祀られている例もありますので、「村や町(集落)の外れの道路脇」だけに建立したと一概に言えない状況もあります。この原の馬頭観音建立場所について、何か情報などが分かれば、追加掲載も考えています。
あと、ご参考までに、この境内には、この馬頭観音だけでなく、他の石塔類も多数あります。
|
|
同右:土台左側面
碑文:原郷中
|
原の馬頭観音、拓本写真、土台正面
碑文:明治二十一年 馬頭 旧十月十九日
|
・土台の碑文
右側写真2枚は、原の馬頭観音で、土台碑文の拓本作業中のものです。この土台には、観音に向かって正面には「明治二十一年 馬頭 旧十月十九日」、同じく左側面に「原郷中」の碑文が縦書きで彫ってあります。
そして、その現代語訳は、「馬頭観音を明治21(1888)年、旧歴10月19日に原郷(町)全体で建立した」でしょう。なお、この「原郷中」の意味は、現代風に言えば、「原町全体で」とか「原町の皆で」と同意語です。さらに、馬頭観音を皆の寄付金で造ったのですから、主語や年月日を含めれば、先の現代語訳通りになると思います。
そして、この碑文で注目すべきは、建立した「10月19日」という月日です。一例として、既に掲載中の同じ萱瀬地区内の「菅無田の馬頭観音」・「権田の馬頭観音」、福重地区の「立福寺の馬頭観音」・「矢上の馬頭観音」、竹松地区の「黒田の馬頭観音」は、旧暦新暦や年は違えど同じ「11月19日」の建立です。また、月違いではあるのですが、この原の馬頭観は、日は同じ「19日」と同じです。
このように、大村市内の馬頭観音には、建立年は各々違うのですが、この月日が同じとか、今回のように「月」は違うが「日」は同じというのが多いです。しかも、「10月19日」、「11月19日」、「12月19日」と旧暦・新歴問わず、この三か月内「19日」の馬頭観音建立が多くあります。
馬頭観音と、この「11月19日」や「19日」と何か関係あるのか、現時点では調べきれませんでした。ただし、数の多さからして、何かの関連はあるのではと、推測しています。何か分かれば、このページも追加、改訂したいと考えています。
補足
(この原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい)
(初回掲載日:2016年10月9日、第二次掲載日:10月13日、第三次掲載日:10月14日、、第三次掲載日: 月 日 )
|