大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など | 長崎空港顕彰碑(森園公園側) |
顕彰碑の場所 | - |
概要紹介 | - |
1)碑文内容について | - |
2)大きさ、緯度経度など | |
緯度経度など | |
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まとめ | |
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。 |
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注1:この碑実は長崎空港に関する顕彰碑は2基ある。1基は本ページ紹介の森園公園側にある。もう1基は長崎空港・管制塔の南側(箕島大橋の近く)の庭にある。自然石なので分かりにくいし、碑文の金文字も判読しにくくなっているが、空港建設時、箕島の土地所有者の方々を顕彰した碑と推測される。 注2:この碑のある所は大村市森園町、森園公園の最北部(通称「長崎空港入り口」周辺)である。本碑の正面に向かって直ぐ左隣り(東側)には、「久保勘一先生の銅像」もある。 注3:本碑の周辺部は、ソテツや植栽が繁茂、あるい木々が高くなっているため、この碑を見学するにも写真撮影するにも難しくなっている。この点は、ご容赦願いたい。 |
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概要紹介 |
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1)碑文内容について <表面(正面)の碑文> 下記右側の(写真1)=長崎空港顕彰碑の表面(正面)碑文の写真と、それを転記し活字化した画像A(左側)を閲覧願いたい。注意:上野の転記ミスなどもあるので、あくまでも、活字画像は、参考程度に見て頂きたい。もしも、引用・参照される場合は、必ず実物の碑文からお願いしたい。なお、碑文に関係する用語解説は、下段の通りである。 |
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<用語解説> 水交社(すいこうしゃ)=「明治9年(1876)に創設された旧日本海軍高等官の親睦しんぼくおよび研究・共済を目的とする団体。第二次大戦後に解散したが、昭和29年(1954)に水交会の名で復活。→偕行社」(デジタル大辞泉より) 水交会(すいこうかい)=「 水交会の目的 公益財団法人水交会は、海洋安全保障に関する調査研究や政策提言に取り組むとともに、海上自衛隊が行う諸活動への協力や先人の慰霊顕彰、地域社会活動への参加、諸団体との交流等を積極的に行い、もって国政の健全な運営の確保に寄与することを目的としています。」(公益財団法人水交会サイトより) 上野の補足---「大村水交社」は、先の法人である水交会の大村市内における組織と推測される。 長崎空港=長崎県大村市にある空港。国管理空港の一。本土部分と大村湾の箕島みしまを埋め立てて作った部分に分かれ、前者は大村航空基地として主に海上自衛隊が使用し、後者は民間旅客用に使われている。昭和30年(1955)に大村空港として本土部が開港。昭和50年(1975)に埋め立て部が完成して現名称に変更された。→拠点空港 [補説]埋め立て部は開港当時、世界初の海上空港として注目を集めた。本土部は現在、空港の一部として防衛省が管理している。 |
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<裏面の碑文> 下記右側の(写真3)=長崎空港顕彰碑の裏面碑文の写真と、それを転記し活字化した画像B(左側)を閲覧願いたい。この裏面碑文は、本碑建立についての趣意書である。 なお、上記(写真2)でも、お分かりの通り、この裏面側は周囲の樹木が邪魔になり、接近した広角レンズ撮影となった。また、上記(写真2)に写っている本碑裏側の最下部(台座部分)にある顕彰碑建立時の寄付者と思われる・その氏名は省略している点は、ご容赦願いたい。 注意:上野の転記ミスなどもあるので、あくまでも、活字画像は、参考程度に見て頂きたい。もしも、引用・参照される場合は、必ず実物の碑文からお願いしたい。なお、碑文に関係する用語解説は、上段の通りである。
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2)大きさ、緯度経度など
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