大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など |
箕島大橋の竣工記念碑 |
記念碑の場所 | 掲載中 |
概要紹介 | 掲載中 |
1)碑文内容について | 掲載中 |
2)大きさ、緯度経度など | |
緯度経度など | |
3)------ | |
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まとめ | |
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。 |
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注1:この碑の正式名称は、「箕島大橋」である。普通、書籍やホームページ類で記念碑などを紹介する場合、「記念碑」とか「竣工記念碑」などを付けるので、上野も補足して書いている。 注2:橋梁名(橋の名前)についての補足。本碑とは別の所の所の欄干(らんかん)にも橋名称の銘板がある。 |
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(写真2、3)にも極簡単に箕島大橋の竣工記念碑の場所について書いているが、その補足をしたい。長崎空港や本碑の所に行く場合、たいてい、バスか車で、森園町の交差点(4差路)から向かうが、この交差点や、その先にある「ガラスの砂浜」周辺を走行中でも車上からならば、本碑のある場所、距離や位置関係が、少し分かりにくい。 そのため、目測ながら空港方向に向いての距離を、次の通り書いている。 森園町交差点からは約530m、天正遣欧少年使節4小年の像周辺から約340m、右側(北側)にある港の空港側護岸からならば約50mである。あと、全く逆の空港側の箕島大橋の起点(橋の銘板のある場所)から森園町交差点に向けてならば、970m先の右側に本碑はある。 そして、実は本碑の東側面直ぐ脇が、「箕島大橋の長さ970m」と言う場合の片側の始点になってもいると推測される。逆の始点は、空港側にある銘板脇である。ただし、「ガラスの砂浜」の海岸に降りて橋を見ると、先の距離関係や、「あそこに記念碑(裏面)はあるのか」と直ぐ分かるのだが。 蛇足ながら、大村湾に架かる箕島大橋の上を走行しているのか、まだ陸地側(地面上)を走っているのか、車線(車上)から分かりずらいのは、港のある部分の南側を車両用(陸地)として埋められたためと推測している。そのため、「もう海の上(橋の上)か?」「まだ陸地なのか?」と、勘違いしやすいと想像している。 |
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概要紹介 |
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1)碑文内容について 下記写真は今回紹介の(写真1、8)の箕島大橋の竣工記念碑以外で橋脚名(橋名)、年号、県道名なども紹介している。さらに下段内容は、写真だけは分かりずらいので、その碑文の内容を書いている。(注:碑文やプレート面を見やすくするため一部の塗装の剥がれや汚れ部分のある面はCG加工で綺麗にしている))
碑文内容 本碑(写真1、8参照)の上部:箕島大橋、 下部が長崎県知事 久保勘一 本碑の右測面(写真9参照):長崎県特産 北松鷹島石 (注:縦書きで2行) 本碑の右隣りの碑文(写真10参照):昭和49年9月竣工 (注:昭和49年は1974年) 本碑の反対側(北側)の碑文(写真11参照):みしまおおはし 橋の空港側で北部の碑文(写真12参照):一般県道大村空港線 橋の空港側で南部の碑文(写真13参照);箕島大橋 碑文は、上記通りである。なお、通常の記念碑紹介ページでは、補足文や昔の難しい漢字などがあれば現代語訳もしているが、今回の碑文は、いずれも分かりやいうので省略している。 |
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2)大きさ、緯度経度など
各碑文プレートと鉄板部
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