福重地区の精霊流し(ふくしげちく の しょうろう ながし)
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(写真2)精霊流し、左後方の山は郡岳、右側は郡川(2016年8月15日)
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<概要紹介>
福重地区の精霊流し(注1)は、(2016年現在)毎年8月15日、18時00分〜21時00分の間で開催されています。場所は、何十年か前の当初は別としても長年、長崎県大村市寿古町にある郡川河口(右岸側の)河川敷で開催されています。主幹は、福重地区町内会長会、消防団第11分団、関係諸団体などです。
参加数は、年によって波がありますが、450〜650名(2016年実績)です。主な内容は、まず福重地区内10町内(一部の町内を除き)から各家で造られた精霊船(舟)などが、各町内ごと、各班(組)ごと、各家(親戚なども含む)に集められます。そして、その舟をつくられた方々や町内の方も、各町の市道などから同行されています。そして、精霊船(舟)などは、郡川河川敷の所定場所に運び込まれます。
20時前頃より約20分間、妙宣寺の僧侶(注2)による読経があり、その時の参加者も各家族、各自で仏壇に線香をあげたり、手を合わせ唱えます。その後、、再度、仏壇に手を合わせたりしながら、三々五々、家路へ向かいます。
福重地区の精霊流しは、有名な長崎市内の精霊流しのように爆竹をバンバン鳴らしたりとか、船(舟)をグルグルまわすなどの派手さはありません。ただし、各家(親戚)や各町内によっては、精霊流しの道中で爆竹、鐘(かね)や団扇太鼓(うちわだいこ)などを鳴らしたり、唱えたりしながら歩いておられます。このように全体の流れは、ゆっくり、静かに精霊を送るという感じです。
(注1):精霊流し=盆の終わりの15日の夕方か16日の早朝に、精霊を送り返すため、供物をわらや木で作った舟に乗せて川や海に流す行事。灯籠(とうろう)を流すこともある。(国語辞典の大辞泉より)
(注2):妙宣寺について、福重地区は江戸時代初期に創建された妙宣寺の檀家が昔から多い関係もあり、この種の仏事やお祓いなどが、福重地区では多い。
1)概略の歴史
福重地区(旧・福重村)の精霊流しの歴史ついて、何か古記録あるいは戦前戦後当時含めて写真なども残っていないか調べてみました。2017年8月現在で、そのような記録類を調べきれませんでした。上記<概要紹介>項目にも書いています通り、昔の精霊流しのやり方は、そのような事情から、まだ明確に書けない状況があります。
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(写真3) 精霊舟(左奥の山は鉢巻山。右側は郡川)
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ただし、古老含めた数名の方から聞き取りをしましたので、その概要を書いていきます。以前の福重地区(旧・福重村)の精霊流しは、大別すると二つの方法で行われていたようです。それは、主に次の通りです。上記国語辞典の (注1):精霊流しも、参照願います。
(1) 中山間地域の郷内(町内)では、ほとんどが墓地へ、お盆に供えしていた供物(くもつ)や盆提灯(ぼんちょうちん)などを持って行っていた。また、一部ではあるが、例えば佐奈河内川(さながわちがわ)や、野田川(山田川)近くでは、精霊船(舟)を川に流していた。
(2) 平野部地域の郷内(町内)では、直接、大村湾へ行き精霊船(舟)を海に流していた。あるいは川近くの地域では、郡川(こおりがわ)などに精霊船(舟)を流していた。
また、 (2)の補足ですが、精霊船(舟)を流す時、例えば「寿古郷(町)、あるいは松原の鹿島周辺の海岸から数十メートル先まで青年の人達が泳ぎながら、舟を手放すやり方もしていた」との話も聞きました。平野部や海近くの地域では、内容や場所によって若干違っても、先と似たような同種のやり方もおこなわれていたようです。
上記の(1)の墓地に持っていくやり方は、現在でも続いている町内が少しあります。ただし、河川に流すとか、(2)に書いています海(大村湾)に精霊船(舟)を流すやり方は行われていません。なぜか、戦前とか何十年も前は別としても、河川や海に精霊船(舟)を流せば、それが結果としてゴミとなり、汚れ、自然環境を守ることから禁止されたからでしょう。また、供物(くもつ)の中には、昔なかったプラスチックなど自然に戻らない物もあり、このことは当然の処置だったのでしょう。
以上のような経過から、何十年か前から現在の福重地区では、上記<概要紹介>や、下記項目の通りの方法で精霊流しは、おこなわれています。
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(写真4)精霊舟(奥側は郡川、2017年8月15日)
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(写真5)妙宣寺の精霊船(2018年8月15日) |
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(写真6) 妙宣寺の僧侶による読経(2017年8月15日)
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2)現在の状況
最初に、現在のような福重地区の精霊流しの状態になったのは、何十年前からか、私は詳細に分かっていません。ただし、長崎県下あるいは大村市内でも精霊船(舟)を、海や川に流してはいけない、所定の場所に持って行くことになる以前からと推測しています。現在の場所は、大村市寿古町にある郡川河口(右岸側の)河川敷で開催されています。(上野の個人的なことながら中山間地域の町内に住んでいる関係上、この場所での開催状況を知ったのは2005年頃からでした)
既に、「2006年、精霊流し 写真集」 、 「2016年、福重地区の精霊流し(概要報告)」、「2017年、福重地区の精霊流し(概要報告)」、「2018年、福重地区の精霊流し(概要報告)」ページに、主に写真を掲載中ですが、私が見た範囲内で、現在の状況をこれから書いていきます。その日時、場所、主な内容は、下記の箇条書き通りです。
福重地区の精霊流し
・日時:毎年、8月15日18時00分〜21時00分(当然、この時間の前に準備作業、後には後片付け作業などがある)
・主幹:福重地区町内会長会、消防団第11分団、関係諸団体などである。
・場所:大村市寿古町にある郡川河口(右岸側の)河川敷である。
・参加数:(年によって波があるが)450〜650名くらいである。
・精霊船(舟)の大きさなど:上記(写真1)でも分かる通り、乗用車並みに大きいのもあれば、一人で手持ちできる小さなものもある。それらは、各家・親戚・町内ごとに造られ、供物(くもつ)や盆提灯(ぼんちょうちん)などともに運び込まれる。(船の大きさ区分の目安として「2m以上」、「2m以内」の分け方もあるようです)
・道中の精霊船(舟)など:各自住んでいる場所から各町内、各親戚、各家で造られた精霊船(舟)や、盆に仏壇に供えていた供物(くもつ)を手に持つか、荷車に載せる、あるいはトラックに積載するかして開催場所に向かう。その道中、各宗派別で若干違うが、爆竹(ばくちく)、鐘(かね)や団扇太鼓(うちわだいこ)などを鳴らしたり、経典を唱えたりしながら歩く。(写真1、2、3、4、5参照) また、福重地区は、大村市内でも3番目に広い地域なので、近年、自家用車や軽トラックなどに載せて運び込む場合も増えている。
・所定の場所へ置く:(写真1)でも分かる通り、精霊船(舟)と、供物を置く場所は別れているので、その通りに置く。
・仏事や合掌など:20時前位から約20分間、妙宣寺の僧侶による読経があり、その時の参加者も各家族、各自で仏壇に線香をあげたり、手を合わせ唱えたり、合掌する。(写真6を参照)
・解散や後片付け:各自、三々五々、解散していく。そして、テント、机、椅子などの会場の後片付けは、主幹の各団体役員がされている。精霊船(舟)や供物は、業者の方に依頼している。
以上が、福重地区の精霊流しの概要です。あと、この行事に参加されるのは、全部では当然ありませんが、初盆を迎えられた家や親戚の方が多い思われます。いずれにしても、猛暑の中、主幹されている福重地区町内会長会、消防団第11分団、関係諸団体などのご努力によって成り立っています。