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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 弥勒寺跡と熊野権現

(史跡説明板)弥勒寺跡と熊野権現跡
 名称:弥勒寺跡と熊野権現  様式:説明板
 場所:弥勒寺公民館の敷地内  設置者:弥勒寺町内会、福重地区活性化委員会
 設置年:2022年3月1日  GPS実測値:32度57分48.75秒 129度57分21.46秒
 全体の大きさ:高さ150cm、横幅70cm  国土地理院の地図  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°57'48.75"N,129°57'21.46"E
(写真1) 中央右:弥勒寺跡と熊野権現の史跡説明板、その左は線刻不動明王像、さらに左側は線刻不動明王像の史跡説明板
左奥は弥勒寺公民館、写っていないが公民館の奥に熊野権現がある。<大村市弥勒寺町> (撮影:2022年4月2日)

注1:1以前まであった大村市教育委員会設置の史跡説明板「弥勒寺跡は、住宅地になり現在は、撤去されている。
注2:今回設置の説明板は、既に設置済みの史跡説明板 「線刻不動明王像の右側数メートルの近さで、線刻不動明王像を間に挟んで並んで立っているように見える。



(写真2) 中央部は弥勒寺跡と熊野権現の史跡説明板
左側は線刻不動明王像
、さらに左側は線刻不動明王像の史跡説明板

(写真3) 弥勒寺の熊野権現

史跡説明板写真周辺の説明
 まず、(写真1と2)を中心に、説明していきます。いずれも線刻不動明王像を中央部とするなら、その右側、今回の弥勒寺跡と熊野権現の史跡説明板があります。逆に、左側が、2013年3月1日に設置した「線刻不動明王像の史跡説明板」です。また、先の手前側(撮影側)は、市道です。

 あと、(写真2)の下部の右端側にあるのが、「弥勒寺の馬頭観音」で、その左側周辺に点在しているのが、弥勒寺の熊野権現の鳥居や五輪塔などの欠片(かけら)です。また、「線刻不動明王像の史跡説明板」の前後周辺には、石灯籠の一部と思われるものも置かれています。 (写真1)の左奥は弥勒寺公民館で、さらに奥側に弥勒寺の熊野権現があります。

・弥勒寺のあった場所について
 今回、弥勒寺跡と熊野権現を同時紹介していますのは、理由があります。それは、現在地の公民館や熊野権現の場所は、戦国時代の天正2(1574)年、キリシタンから焼打ち・破壊・略奪に遭うまで存在した弥勒寺のあった場所との説もあるからです。

 あと、もう一つの説として、先の説とは別に熊野権現がの東南側に広がる現在、水田のある場所が、弥勒寺跡という説も地元で聞いたことがあります。そして、その古老の話しでは、「トラクター導入前の基盤整備(圃場整備)の工事時までは、一本の大きな木が弥勒寺跡と伝わってきた」とのことでした。(その切られた木は、何十年間も隣の農道に置いてあった)

 また、上野が思うに寺でも必ず水が飲用にも宗教上も必要です。この位置から山側へ百数十メートル行った所に、どんな日照りの時も枯れたことがない清水があり、そこから現在も井手(水路)があります。その場所には、「清水の線刻石仏」や「清水の線刻石仏と安産祈願の観音」などがあります。

・弥勒寺の熊野権現について
 (写真3)の通り、今回の弥勒寺跡と熊野権現の史跡説明板がのある場所から、50メートル南東側に弥勒寺の熊野権現があります。(この権現の詳細は、先のリンク先から参照)

史跡説明板の内容

 このページ(写真1と2)の右側に写っています弥勒寺跡と熊野権現の史跡説明板には、下記< >内の青色文章が書いてあります。なお、(写真4)をご覧の通り、原文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しています。また、原文は、そのまま生かしたいのですが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もあります。

(写真4) 弥勒寺跡と熊野権現の史跡説明板内容

<弥勒寺跡と熊野権現
 現在の弥勤寺公民館や熊野権現の周辺には、かつて弥勒寺があった。正確な創建は不明だが「紫雲山延命寺縁起」によると久寿ニ年(一一五五)に唐泉寺の住職春輝が提唱して郡地区の十四か寺が宗論を交わしたが、その中に弥勒寺の名称もある。

 また、近くの石堂屋敷などには末法思想流行時に建立された経筒があることから遅くても平安時代後期以前に寺院が創建されたと推測される。宗派は 禅宗(一説には真言宗)で寺領二十一石と伝えられる。戦国時代の天正ニ年(一五七四)にキリシタンの破壊に遭い二度と再建されなかったが、その地名(町名)として今も残っている。

 熊野権現は江戸時代の正保四年(一六四七)に創建との記録が残る。この名称通り和歌山県の熊野本宮の祭神を分霊したものと思われ、所願成就の神様として祀られてきた。江戸時代から現在まで改築が繰り返しおこなわれてきた記録も残っている。最新では平成二四年(二〇一二)に改築された。この改築の歴史でも分かる通り、弥勒寺町の守り神として町民が大事にされてきた。
  二〇ニニ年三月一日
  弥勒寺町内会・福重地区活性化委員会>

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・熊野権現の写真説明
 


 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



・詳細な関係ページ:福重の名所旧跡や地形の『弥勒寺跡』  、 前同『(弥勒寺の)熊野権現』  、大村の石碑や碑文の『弥勒寺の熊野権現(郷会場)増築記念碑 』 「清水の線刻石仏」 「清水の線刻石仏と安産祈願の観音

(初回掲載日:2022年4月27日、第二次掲載日:5月10日、、第三次掲載日:5月17日、、第四次掲載日: 月 日、、第五次掲載日: 月 日、) 


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