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福重の写真集 その709
2025年6月14日 (宮中献穀事業) お田植え祭(概要報告)
(宮中献穀事業) お田植え祭の神事、中央部は耕作者の川本ご夫妻<寿古町公民館>(撮影:2025年6月14日、以降同様)
水田でのお田植え祭、水田に入っているのは早乙女(さおとめ)や早男(さおとこ)、農道上側は報道や見学者など
お田植え祭で植えられる苗 大村市長川本ご夫妻はじめ早乙女(さおとめ)早男(さおとこ)
はじめに
  注:掲載写真は順不同で上からの順番などには何の意味もない> このページは、秋の宮中祭祀(さいし)新嘗祭(にいなめさい、しんじょう‐さい)=天皇が新穀を天神地祇ちぎに供え、みずからもそれを食する祭儀。デジタル大辞泉より)に献上するコメ(米)の「お田植え式」を中心に書いている。ただし、その前に、この一連の「宮中献穀事業」の行事名称は、一般には馴染みのない用語がある。また、普通の稲作やコメ(米)にちなんだ行事の場合、一例として「田おこし」「モミまき(種まき)」「田植え」「稲刈り」「脱穀」「精米」(モチコメならば)「餅つき」「餅まき」などがある。

 これらは、まさしく「瑞穂の国 日本」を象徴する稲作やコメ(米)に関する歳時記である。 そのようなことから、このページでは、先に「宮中献穀事業」の行事月日用語解説を書いていきたい。また、下記の月日は実施分含めて、2025年度、大村市寿古町で行われた(あるいは今後の予定)である。 なお、用語解説は、長崎県または大村市ホームページを参照して書いているが、上野の補足文もある。そのため、あくまでも参考程度に閲覧願いたい。引用、参照は何かの用語辞典からして頂きたい。
 
事業の月日  宮中献穀事業名と、その用語解説
 2025年2月26日   宮中献穀大村市奉賛会設立総会 宮中献穀大村市奉賛会設立総会を実施し、宮中献穀事業の主体となる「宮中献穀大村市奉賛会」が設立された。設立総会では会則や事業計画を中心に議論が進められた。
2025年5月10日  斉田清祓(さいでんきよはらい)播種祭(はしゅさい)」  斉田清祓(さいでんきよはらい)とは、コメ(米)を育てて(稲作)収穫する水田を清める儀式である。 播種祭(はしゅさい)とは、モミまき(種まき)のことである。現在では育苗箱にモミまきするのが、ほぼ100パーセントである。
2025年6月14日  お田植え祭  お田植え祭とは、一般に言うと(神事などのない)「田植え」のことである。ただし、お田植え祭は、上記の播種(はしゅさい)」でまいて育ってきた苗が無事に育つように神事で関係全員で祈願した。そして、斉田清祓(さいでんきよはらい)で清められた田んぼに、(小中学校の生徒や児童の)早乙女(さおとめ)早男(さおとこ)が和服で、手植え(田植え)する儀式である。なお、現在では、ほぼ100パーセントが田植え機械で「田植えlする。
2025年8月  青田祭  青田祭(あおた祭)とは、「これから心配される水不足や風水害を防ぎ 害虫の駆除など、稲を守って豊かな稔りを祈願する神事」のことである。
2025年10月  抜穂祭  抜穂祭(ぬきほさい、ぬいぼさい)とは、一般には「稲刈り」のことである。大昔は、今のように稲束を全部刈るのではなく、先の文字のように実った穂だけを「抜き取る」から、この名前が使われているのだろう。なお、現在の稲刈りは極一部を除き、全部がコンバインやバインダーなどの機械による「稲刈り」である。
025年10月  宮中献穀献納式  宮中献穀献納式(きゅうちゅう けんこく けんのうしき)とは、「皇居(こうきょ)でおこなわれる新嘗祭(しんじょう‐さい、にいなめさい)に収穫できた先のコメ(米)を献上する儀式である。このコメのことを、献上米(けんじょうまい)とも呼ぶ場合もある。
2025年11月  県知事・県神社庁への贈呈式

神事の会場、寿古町公民館内
神事中央部の左側は祝詞奏上(のりとそうじょう)
右側に各色のノボリ(幟)はためく横で、お清め神事の前-
早乙女(さおとめ)早男(さおとこ)などによるお田植え

(宮中献穀事業) お田植え祭
日時:2025年6月14日11時00分~12時20分
参加:約150名
(主宰者はじめ見学者含めて述べの全参加数
案場所;大村市寿古町公民館と水田

<主な内容(概要)>
 今回の神事は、当初、屋外で予定されていたが、降雨のため寿古町公民館で開催された。この公民館内には、神事が始まる1時間ほど前から主宰者、地元の寿古町、農協、市役所、報道や関係者が諸準備含めて待っておられた。

 定刻となり、神事の前に、長崎県知事(代理)の方が挨拶された。そして、神事となり、祝詞奏上(のりとそうじょう)や玉串奉奠(たまぐしほうてん)などが挙行された。その神事の後、園田•大村市長や耕作者の川本さんから今回のお田植え祭の事柄や、これからの抱負などを述べられた。次に、記念写真の撮影などもあった。

 先の公民館での神事や行事も無事終了し、今度は参加者全員で上表通り、本年5月10日に「斉田清祓(さいでんきよはらい)」と「播種祭(はしゅさい)」がおこなわれた水田の前に到着した。そして、まずは田んぼ横に紅色、白色、黄色、紺色、黒色などのノボリ(幟)が立てられた。

 そのノボリ横で、今度は神職、主宰者、早乙女(さおとめ)早男(さおとこ)などが、水田に向かってお清めと祈願の礼があった。次に早乙女早男=(地元・郡中学校の生徒と福重小学校の児童達)が、お田植え祭用の和服姿のまま、苗を手にして、田んぼに入った。そして、丁寧に一株づつ手植えしていった。

 この早乙女早男などによるお田植え祭も、無事に終了した。後は、記念写真を撮ったり、保護者や近所の人達などと、「緊張したけど、終わった」「お疲れさん」みたいな会話が続いていた。あとは今から今回のお田植え祭で植えられた苗が、これから強く育つことを願うばかりである。
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<上野の補足>
 ここからは、全くの上野の補足であるが、この田んぼ周辺からの眺望も良い。しかし、さらに西側(大村湾側)へ300メートル弱行って、振り返って左側(北側)から見た武留路山、郡岳遠目山経ケ岳などのの山並みの景色は、まるで一幅(いっぷく)の絵を見るより素晴らしい景色が望める所である。今秋この周辺の広い田んぼに下記の写真と同じような黄金色に実った稲穂をはじめ、先の美しい山並みを同時に見るのが楽しみでもある。(最下段の写真参照)

 最後になったが、今回のお田植え祭に参加された全員の皆様、お疲れ様でした。

(2015年10月3日撮影) 手前側は寿古町で黄金色に実った稲穂
最奥の山並みは左側から郡岳遠目山、離れて右側に大村で最高峰の経ケ岳が三角形状で小さく見えている。

(初回掲載日:2025年6月16日、第二次掲載日:6月18日)


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