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大村の歳時記シリーズ 餅まき
餅まき:餅が飛んでいる (鈴田ふれあい祭り、鈴田小学校にて、2013年10月20日撮影) 
餅まき:(2019年12月15日、立福寺町の馬頭観音祭) 餅まき:(2019年10月27日、みうら勘作まつり)

餅まき
餅まきの概要紹介
 この餅まき(もちまき)は、大村市内だけでなく全国どこでも、その主催者・規模・人数・場所などは、当然違えど、主旨(目的)、内容やり方実施時期も、大体同じと思われる。(下記の用語解説も参照願いたい)

餅まき(2019年10月20日、鈴田ふれあい祭り)

<用語解説>
 ・餅まき(もちまき)または餅投げ(もちなげ)は、上棟式などの神事に際して集まった人々へ餅をまく行事である。正式には、散餅の儀、散餅銭の儀という。<出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説より>

 棟木(むなぎ)とは、棟に渡す横木。屋根の最上部に、桁行 (けたゆき) 方向に取り付ける横木。むねぎ。(デジタル大辞泉より)

 餅まきは、上記の用語解説の通り、民家の新築(改築)時の上棟式(じょうとうしき)=棟上式(むねあがしき)などおこなわれている例が多いと思われます。ただし、それだけではなく、例えば何かの祭り(イベント)の最終番、または宗教行事で、お祝いを兼ねた時などにも見られます。ここで、上野が大村市内で見た範囲内で、餅まきの状況をまとめますと、次の通りです。

 (1) 上棟式=棟上式など
 (2) 祭り
 (3 宗教的な行事

 (現在は、ほぼ見られないが)その家の子どもの誕生を祝い、小規模の餅まきや、赤ちゃんに鏡餅風の餅を足で踏ませる行事もあったと聞いた。

餅まきの意味
 この餅まきの元々の意味は、先述の「用語解説」通り、餅まき(もちまき)または餅投げ(もちなげ)は、上棟式などの神事に際して集まった人々へ餅をまく行事である。正式には、散餅の儀、散餅銭の儀という。」<出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説より>だったろう。

 その後、全国各地で上記の辞典通り民家の新築(改築)時の上棟式(じょうとうしき)棟上式(むねあがしき)も、当然現在もある。さらに、神事祭りなどの各種種行事の時でもおこなわれている。かく言う上野自身も「上野ログハウス」(自宅)建設時(1997年完成)に、この餅まきを主催したので、その時、地域の風習含めて経験した。そして、この餅まきの意味も当時良く年上の方々に聞いて回った。そのこととも含め、先の「用語解説」内容と重複もあるが、下記にまとめている。

立福寺町、六社権現の改築祝いの餅まき
(中央と右側では餅が飛んでいる) (撮影:2017年12月17日,
 (1) 家の新築時、まずは土地購入から始まり、敷地の整備・造成、建設設計書、縄張り、安全祈願神事、基礎工事、住宅用の柱などの建築着工、その後順調に進めば棟木(むなぎ=上記の「用語解説」参照)を上げる。

 まだまだ家造りは続くが、棟木が上がることによって一つの区切りみたいになる。そのようなことから、上棟式(棟上式)をおこない、今までの作業の安全に感謝しつつ、今後も安全でありますようにと主催者が中心になり、関係者全員で祈願する

 (2) 現在は多くが住宅メーカーが建築施行される場合が多いと思われる。しかし、昔ながらの住宅施行ならば、次のような方々も大勢必要だ。それは、大工の棟梁を中心に多く(当初のみ10人近く)の大工、さらには親戚や同じ町内の方々が、柱をはじめ各種建築部材の運び込み、さらには棟上式の後では、左官と一緒に壁塗り(造り)作業、屋根瓦(やねがわら)をふせる工事などもある。その関係者へ、感謝の意味も込めて餅まきをおこない、帰りには、その方々へ、飲食物や記念品を差し上げる。

 (3) 最初から、その場所にあった家ならば特には後記内容の意味はない。しかし、他の地域から移り住むことになった人が住宅を新築した場合は、同じ町内の方々へも餅まき(餅拾い)を呼び掛けることによって、「これから、ここに新たに住みますので同じ町内の皆様、よろしくお願いします」との意味(つまり初顔合せみたいないこと)も込めている。

 (4) あと、上記の家の新築以外、例えば何かの神事や祝い事あるいは祭りなどの各種行事(最終時が多い)の場合、その行事が成功だったことと、参加者への感謝を込めて、餅まき(実施される例が多いと推測される。

 上記いずれにしても、総じて述べるならば祝い事作業(行事)安全の感謝と祈願関係者や参加者へのお礼などの意味を込めて、餅まきはおこなわれているのではないだろうか。  あと、上野の個人的な感想ながら、この餅まき(餅拾い)は、餅をはじめ紙にまいた小銭(縁起をかついで5円、50円、500円玉などが多い)や菓子などを高い所からまく方(主催者や関係者)も、それを拾う方々(参加者)も、一瞬ながら一同一体となり、楽しく、嬉しい時間を共有できるものである。

餅まきの内容
 この項目、民家などの場合、本来ならば上棟式(じょうとうしき)棟上式(むねあがしき)から書くべき事項と思われる。しかし、このページ=「餅まき(もちまき)」のみの内容なので、その事柄は省略して書いているので、あらかじめ、ご了承願いたい。

餅まき用の箱(餅、お菓子、飴などが入っている)
(鈴田ふれあい祭り、撮影:2018年10月21日,
 また、下記内容は、上野が「上野ログハウス」(自宅)建設時(1997年完成)に経験したことを中心に書いている。そのため、他の方々や、あるいは何かの祭りなどでおこなわれている餅まき時と違う場合もあるかもしれないが、その点は書いていない。

 あと、餅まきがおこなわれる棟上式(むねあがしき)当日の作業は、住宅メーカー任せは当然別内容である。ただし、昔ながらの家の建て方、つまり、大工・町内・親戚・家族の手伝いて家を建てるならば、ほとんどの場合、早朝から大変忙しい。また、その人数は、数十名で力仕事なので男性が中心である。

 同時進行で、建設中の近くにある親兄弟・親戚の家(あるいは公民館)などでは、先に書いた大工の手伝いをしていない人(女性・老人・子どもなどで)餅まき用の餅つきがおこなわれ、その数も沢山つくられている。また、その餅の大きさも大・中・小と色々と作られている。あと、大昔は、それこそ、のみが準備されていたと推測している。

 しかし、現在ではにプラスして、餅拾いに来る子ども達が喜ぶような例えば、お菓子(袋や小箱)、また、お金も縁起をかついで、5円50円500円を半紙に包んで準備しておく。そして、たいてい「もろぶた」という長方形で、底の浅い木箱に入れておく。その箱の数は、10箱を越えている。(上記右側写真「餅まき用の箱」も参照願う)

餅まきのやり方
 この項目は、先の項目で述べた通り、上野が「上野ログハウス」(自宅)建設時(1997年完成)に実施した餅まき=餅拾いをしたことを中心に書いている。そのため、他の方々の新築・改築祝いや、あるいは何かの祭りなどでおこなわれている餅まき時と違う場合もあるかもしれないが、その点は書いていない。

 あと、一度この餅まき=餅拾いに参加された方ならば、この行事そのものは、ご覧の通りのことなので、難しいことは何もない。下記は、先の項目(「餅まき用の箱」)まで、準備できている段階から書いている。つまり、親戚や近所の民家(または(公民館)などで作られた餅まき用の箱が、新築(改築)現場に運び込まれたところからである。

 (1) まず、棟木などが上がった屋根や臨時に組んだ櫓(やぐら)の上では、大工の棟梁始め注文者(発注者=主催者)・家族・親戚や近所の代表などと一緒に、お神酒(おみき)を飲み、ここまでの安全作業に感謝しつつ、これからも同様に進行していくことを願う。(念のため注文主がら一同の方へ簡単なお礼の挨拶などもある)

 (2) 上記(1)が終わった後、餅をまく人が全員横一列に餅まき用の箱を持って並び、主催者(発注者)が「今から餅まきを始めます」との合図を大声でかける。

餅まき:(2019年12月15日、立福寺町の馬頭観音祭)
 (3) 通常、小さい餅やお菓子などから投げる場合も多い。(昔は、全部の餅は、そのまま投げていたが、数十年前からはビニール袋に1個づつ包んである場合もある。お菓子などは、当然その袋のままである)

 (4) その後は、餅まき用の箱の中身が無くなるまで、投げられるし、参加者に拾ってもらえる。拾う方は、レジ袋などを持参して、「こっちに投げて!」「後ろの方にも投げて!」「大きな餅を拾った」 「お金だあ!などとの声も飛び交い、大変にぎやかになる。

 (5) 最後半で、餅まき用の箱の残しておいた餅を参加者へ見せながら、「これが一番大きな餅で縁起餅だ!」といいながら力強く投げ入れて餅まき=餅拾いは終了となる。この時、餅などを袋に入れた餅を拾う人(参加者)も、それを投げる人も、実に楽しそうな、満足そうな笑顔が見られる。

 ・あと、ご参考までに。上野は他の祭り(2019年、立福寺町の馬頭観音祭や、2017年、六社権現の改築祝いの餅まき)などの餅まき時には、その全部が素人カメラマンとして参加し、終始写している。その関係上、餅を拾うことができない。そのことを知っておられる主催者は、餅まきの事前や事後に、「あんたは写してばっかりやろうから、拾うことができんやろう」と言いながらビニール袋に数十個入った餅をもらえる場合もあり、主催者の配慮を感じ、お礼したことも何回かあった。私にとって、このようなことも餅まきの楽しい一場面である

餅まきの感想
 この項目、結論から先に書くと、「餅まきは、新築あるいは各種行事でも、主催側も、餅を拾う参加者側も、実に楽しい一瞬」といえる。私は、両方とも体験しているので、その実感を持っての感想である。 なぜ、なのか? 例えば新築の場合、色々な金銭的苦労なども含めて建設にこぎつけ、工事に入る。

餅まき:(2019年10月27日、みうら勘作まつり)
 そして、一つの区切りでもある棟木が上がった時は、やっと、ここまで来たかという一定の安堵感もある。その時に、餅まき・餅拾いに参加された町内や親戚などから、お祝いの言葉をもらう。そのような方々へ、お礼の意味も込めて、ささやかながら餅まきをする方は、感謝の気持ちと感無量の喜びがある。

 また、餅を拾う参加者も、(今では、どこでもいつでもスーパーかコンビニなどでも買える同じような)餅やお菓子類かもしれないが、縁起ものでもあるし、なんと言って自分が拾った分だけもらえるものだから、これも得難い

 あと、日頃は同じ町内で挨拶程度は交わしている方々とも、餅まきでは同じ場所・時間・目的(同じ話し)一瞬でも共有できるの は、嬉しささえ感じた


餅まきの古写真について
 先の項目に「餅まきの感想」まで書いているので、本来この項目は必要ない。しかし、その掲載後、古いアルバムを見ていたら、1964年の東京オリンピック前後頃に、実家の改築時の写真が6枚貼りつけてあったのを思い出した。私自身の懐かしさもあるが、今回紹介の「餅まき」の、しかも昔そのままの「餅まき写真(白黒の古写真)」で、しかも民家の屋根上から建築主(発注者、餅まき主催者)側を撮った、今では見慣れない写真でもあるので、追加掲載することにした。

 その屋根側から撮ったのは、下記の2枚(写真AとB)で、右下側の1枚(写真C)は、撮影者が地面に降りて撮った写真である。これらの写真説明文は、下記の通りである。

(写真A)  1964年頃の棟上げ式(上棟式)の直会(なおらい) 
(写真A) について-----この時は既に棟木は当然上がり、垂木(たるき 「屋根を支えるため、棟から軒先に渡す長い木材」、大辞泉より)も、多くが打ちつけられている。そして、その屋根(垂木)の上に3畳(じょう)ほどの仮の(やぐら)を作るため、平板が敷いてある。そこで、発注者主(この場合、私の父)、大工の棟梁(とうりょう)、親戚の者などが、棟木が上がった祝いや、これからの工事の安全祈願をするため、数十分間、お神酒や直会(なおらい、食事など)をした。

 この写真は、その時のもので、写真左側にある白色の紙は、上棟式用の御幣(ごへい)などである。逆の右側に10箱近く積んであるのは、餅まきの用の餅やお金などの入った(大村弁で)モロブタ(底の低い長方形の木箱のこと)である。念のため、この当時は、お菓子類は入っていなかったと思う。

 あと、ご参考までに、直会の中央部に坊主頭の学生服姿で吸い物を食べているのは、郡中学校1年生頃の上野である。(念のため既に就職していた兄の代わりに、私は出ていた) その周囲は、大工、親戚や町内の代表や、発注主の父などである。 なお、写真中央部に白くて小さな屋根が見えているのは、建築用の木材、各種資材や大工道具などが、沢山置いてある簡易の藁ぶき(わらぶき)の小屋である。また、右奥側に瓦(かわら)や藁ぶき屋根が見えているが、これは農家だったので色々なものを納めたり、本宅が完成するまで家族で寝泊まりもしていた小屋である。

(写真B)  1964年頃の棟上げ式(上棟式)の餅まき 
 (写真B)について----この古写真は、先の直会(写真A)が終わり、餅まき最中を撮ったものである。このように餅まきをする様子を、その上側(屋根の上部)から撮った写真は、珍しいとといえる。 (写真A)にも写っている左側の白色の紙は、棟上げ式(上棟式)に飾るお札(ふだ)御幣(ごへい赤青色の細長いノボリみたいなものであろう。

 そして、中央部=仮の(やぐら)の上には、建築発注者(この場合、私の父)、大工の棟梁、町内や親戚代表が、(写真A)の右下側に見えているモロブタに入っているを、いっせいにまいているところである。 この当時の服装について、(左側二人の)大人の正装は、紋付きの和服姿である。ちなみに、中央部で中学生の学生服姿は、私である。

 あと、このの先(下側)は地面(庭)で、そこに町内や親戚の方々が上から投げられた餅を拾っているところである。その掛け声は、たいてい(大村弁で)「こっち方に投げんばー!」とか「うちん方にも投げんね!」など、大変賑やかだった。 なお、写真上部(奥部)は、水田である。

(写真B)  1964年頃の棟上げ式(上棟式)の餅拾い 
(写真C)について----この古写真は、上記の(写真B)の通り、屋根の上からまかれている餅を拾っている時に写されたものだ。この時、餅を拾う人は、写真に写っている人数(約10名)だけでなく、実際は数倍の方が、もっと横や庭の西側(下側、海側)にあった農道にも沢山いらっしゃったことを覚えている。

 また、この写真の奥側が座敷で、その手前側が縁側になる。ここに屋根の方に上がれない親戚と隣人の高齢者二人と女性がモロブタに入っている餅をまいているのではないかと思う。あと、この当時、まだレジ袋などは無くて、拾った餅は紙袋か、女性は手作りの布袋とか、男性の場合は服のポケットに入れるなどして、次から次へと拾っていた。

 また、餅まきの後半では、(現在ならば500円玉だろうが)当時は50円玉だったと思うが、お金もまいていた。そして、最後に大きな餅を建築主が持って、「これは座り餅!」とか、「(大きな)縁起餅だ!」や「最後の餅!」みたいな大声を出して参加者に一度見せてから、思い切り人の多い所に投げていたと思う。先ほどのお金最後の大きな餅の時には、「こっちに投げて!」の大歓声が挙がるのが、餅まきの通例だった。

補足

  (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)


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初回掲載日:2021年12月21日、第二次掲載日:2022年1月1日、第三次掲載日:1月10日、第四次掲載日:1月15日、第五次掲載日:1月24日、第六次掲載日:2月21日、第七次掲載日:2月25日、第九次掲載日:3月2日

参考文献、書籍一覧表 歳時記関係用語集 「大村の歴史」もくじ


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