大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など | 松原小学校 川添福一氏の寄附記念碑 |
概要紹介 | 掲載中 |
1)記念碑内容について | 掲載中 |
2)記念碑の大きさなど | |
緯度経度など | |
まとめ | |
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。 |
(写真1) 松原小学校 川添福一氏の寄附記念碑 | (写真2) 記念碑の本体部 |
概要紹介 注1:この記念碑の名称は、表面碑文を全部掲載すると大変長くなるので、省略して分かりやすいように「松原小学校 川添福一氏の寄附記念碑」としている。 注2:本碑に氏名が彫ってある寄付者の川添福一氏は、1950(昭和25)年にラッキー自動車株式会社を創業された方である。<詳細は「ラッキー自動車株式会社・会社概要」ページを参照>
(写真1、2)の中央部には、碑文が上部に横書きで1行、その下部のほぼ全面に縦書きで3行あり、そして、裏面に1行の碑文が彫ってあります。表面には、川添福一氏が、松原小学校へ昭和29(1954)年11月に多額の寄付したこと、裏面には本碑の建立年=昭和30(1955)年1月となっています。 なお、表面の中央上部に大きな文字で、「金拾萬圓」(10万円)は、その右側にある碑文「基本教育施設費」と考え併せれば多額の金額が、先の川添氏によって寄付されたのではないでしょうか。そして、そのご好意を顕彰(けんしょう)し、同氏に感謝するため、この記念碑を建立したのではないかと思われます。 1)記念碑内容について (写真1、2、3)の記念碑本体の表面と裏面には、碑文が彫ってあります。それは、(画像A)の「記念碑の活字改訂版」を参照願います。また、ホームページ用に下記の通り、横文字の太文字に直して書いています。 あと、(画像A)通り、一部で難しい漢字も使われています。そのようなこともあり、下記の碑文の口語訳は、参考程度に願います。もしも、碑文について引用・参照される場合は、必ず本体部の碑文からして頂けないでしょうか。 <注:表面> 記念 松原小学校 基本教育施設費 金拾萬圓 寄付者 川添福一 氏 昭和二十九年十一月 <注:裏面> 昭和三十年一月 建之 口語訳 上記の横書き碑文内容は、現在ではあまり使われていない一部の文字を除き、分かりやすい内容です。そのため、口語訳も不要なのかもしれません。ただし、趣旨を分かりやすくするために文章の流れを入れ替えたり、( )内=補足を設けながら読みやすくしていきたいと思い、下記「」内の青文字にしました。 「 記念(碑) 松原小学校の基本教育施設費として、金(額)拾萬千圓(10万円)を寄付して頂いた。(注:) (その)寄付者は川添福一 氏である。 (寄付された年月は)昭和29年(1954)11月であった。 昭和30年(1955)1月に之(これ、記念碑)を建てた。 」 注:川添氏が寄付された昭和29年(1954)当時の10万円は、高額だったことは分かりますが、現在ならばどのくらいになるのか、当時の貨幣価値について、上野は正確には分からない。ただし、碑文にある「基本教育施設費」という文章からすれば、「学校全体で使えるような施設費」に充てられたのではないかと推測される。なお、この1954当時の松原小学校の記録や古写真などがあれば、より判明すると思われるが、現在のところ不明である。 2)記念碑の大きさ、緯度経度など このページの(写真1、2)を参照願います。縦長の自然石が、松原小学校 川添福一 氏の寄附記念碑の本体部です。そして、その下側が、台座(土台)も自然石です。それらの大きさと緯度経度は、下表二つを参照願います。なお、このような造りは、大村市に沢山ある記念碑類と似たようなものです。あと、下表の数値は、あくまでも参考程度に、ご覧願います。また、数値未記入欄は、ご容赦願います。
まとめ (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください) ・松原小学校の記念碑関係ページ: 「福田寅作氏の寄附記念碑」 「二宮金次郎像」 「川添福一氏の寄附記念碑」 「M口クイ氏 頌徳碑」 「松原小学校 創立百周年記念碑」 「田崎俊作氏の吉野桜の寄贈記念碑」 「松原の救護列車の碑」 (初回掲載日:2020年4月7日、第二次掲載日:4月10日、第三次掲載日:4月11日、第四次掲載日:4月18日、第五次掲載日: 月 日、第六次掲載日: 月 日、) |
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