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大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など M口クイ氏 頌徳碑
 概要紹介 掲載中
 1)記念碑内容について 掲載中
 2)記念碑の大きさなど
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   緯度経度など
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 まとめ -
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。
(写真1) 濱口クイ氏 頌徳碑 (写真2) 濱口クイ氏 頌徳碑の本体部
概要紹介
(写真3) 濱口クイ氏 頌徳碑
 用語解説:広辞苑の解説では、「頌徳(しょうとく)=功徳をほめたたえること」である。先の解説からして頌徳碑とは、「(偉人や多くの方へ立派な功績を果たされた人の)功徳をほめたたえる碑(記念碑)」ということである。

 この濱口クイ氏 頌徳碑(はまぐち クイ し しょうとく ひ)は、長崎県大村市松原本町にある大村市立松原小学校の運動場東端側(旧・長崎街道横の石垣沿い)の南端側近くにあります。運動場側から見れば、ほぼ横一直線に5基並んでいる記念碑類の右端側に位置します。その記念碑5基の内、本記念碑が、土台の石垣を含めれば高さは、一番高いです。

 この濱口クイ氏 頌徳碑の建立年月は、昭和41年(1966)3月です。そして、建立者は、「松原小学校 育友会(松原地区の住民)です。建立の目的は、濱口クイ氏が松原小学校はじめ松原地区内外で、多数かつ多額の寄付をされ、大変な功績があることに対して、同地区住民が同氏に感謝と顕彰の意を込めて造られました。

 その功績の内容は、本記念碑の碑文や同地区内に伝わる話(伝承)を参考にしますと、とにかく同氏は、同地区内外で何回も多額の寄付をされました。その中でも特に、松原小学校の創立90周年や1964年の東京オリンピックを記念して、同校の水泳プール寄贈独力でされたそうです。

 また、同校の校舎前にある「二宮金次郎像」は、濱口彦作氏の遺志により夫人の濱口クイ氏が建立されたことも、同像の碑文に彫ってあります。あと、今回紹介の濱口クイ氏 頌徳碑で注目すべきは、ご本人の肖像(顔)銅板プレートが設置されていることです。この肖像(顔)銅板の例は、あまたある大村市内の顕彰記念碑の中では、そう多くないといえます。

 本記念碑のまとめにかえて、先のような同氏の功績などによって、松原小学校や松原地区の住民から慕われ尊敬されていたからこそ、この濱口クイ氏 頌徳碑を建立されたと思われます。

1)記念碑内容について
 この濱口クイ氏 頌徳碑には、碑文が3か所にあります。それは、次の(1)本体下部(2)本体の裏面(3)土台(石垣)の中央部です。これから、この(1)(2)(3)を分けて紹介します。

(写真4) 記念碑本体部の裏面の碑文
(1)本体下部について
 (写真2)が分かりやすいですが、記念碑本体下部の台座(中央部の細長い土台)に横文字で濱口クイ氏 頌徳碑との碑文があります。当然ながら、この碑文そのものが、本記念碑の正式名称です。

(2)本体の裏面
について
  (写真4)の通り、記念碑本体の裏面(市道=旧・長崎街道側)に碑文が彫ってあります。ただし、この内容は、次の(3)土台(石垣)の中央部と全く同文ですので、碑文内容については、次の(3)の項目を参照願います。ここからは、上野の推測ですが、最初は、ここの碑文によって、濱口クイ氏の顕彰内容や、記念碑建立趣旨内容を彫られたのではないかと思います。

 しかし、記念碑の裏側であること、さらに碑文位置の高さが高過ぎて、読むによまれないように見えます。実際、私も写真撮影上、土台の石垣に登ってみて、やっと碑文が読めました。そのようなこともあり、多くの方に先の顕彰や趣旨内容を見て頂くために、次の(3)土台(石垣)の中央部にある碑文プレートを表側(正面)に設置されたものと推測しています。

(3)土台(石垣)の中央部について
 まず、(写真1、3、5)を参照願います。この記念碑の土台でもある石垣の正面には、碑文の彫られた石板があります。この文章は、上記の(2)本体の裏面碑文内容と、同じです。その文章は、下記<>内の青色文字です。(写真5)の通り、原文は縦書きです。下記は、ホームページ用に横書きに直して、見やすくするために空白(スペース)や改行を変えています。なお、参照・引用される方は、必ず実物(原文)からお願いします。
(写真5) 石垣中央部にある碑文

  濱口クイ氏は母校 松原小学校のために たびたび多額の浄財を投ぜられたが 今また同校創立九十周年並びにオリンピック東京大会を記念して独力を以って水泳プールを寄贈された  ここに松原地区民一同 その徳をたたえた頌徳碑を建立する
   昭和四十一年三月  松原小学校育友会 

 上記<>内の文章は、分かりやすいので現代語訳や口語訳はしませんが、いくつか補足を書いておきます。まず、建立年の「昭和41年」は、西暦1966年です。「たびたび浄財を投ぜられた」というのは、プール建設前にも数多くの寄付が松原小学校にあったことを示しています。

 「独力を以って水泳プールを寄贈された」という下りは、普通に解釈すれば、濱口氏の単独でプール建設用資金として全額寄付されたことになります。私は、このプール建設状況の詳細を調べきれていませんが、先の解釈通りならば、大変多額な寄付金といえるのではないでしょうか。 <ご参考までに、1969(昭和44)年4月19日に竣工式をした「福重小学校のプール」建設総経費は、約860万円です>


2)記念碑の大きさ、緯度経度など
 このページの(写真1、3)を参照願います。その最上部に写っているのが、松原小学校にあるM口クイ氏 頌徳碑本体部です。そして、その下側が、台座石垣(土台)です。それらの大きさと緯度経度は、下表二つを参照願います。なお、(写真2)でも、お分かりの通り、本体は、普通の記念碑(四角形などが多い)と違って、将棋の駒みたいにも見えています。

 また、記念碑本体下部の台座が4層構造みたいになっていて、さらにその下側に石垣(土台)があります。そのようなことから、どこから、どこまでが全体の大きさ
(高さ、横幅)などが分かりにくいこともあるため、下表の数値は、あくまでも参考程度に、ご覧願います。また、数値未記入欄は、ご容赦願います。

M口クイ氏 頌徳碑の大きさ

 全体  高さ:2m43cm  -  -  -
 本体  高さ:80cm  横幅:92cm  奥行:  胴囲:2m8cm
 台座  高さ:80cm  横幅:1m35cm  奥行き:1m19cm  周囲:
 石垣  高さ:83cm  横幅:2m40cm  -  周囲:8m10cm
 顔部分   高さ:39cm  横幅:36cm  注:本体部にある肖像(顔)銅板のみの大きさ
 碑文  高さ:34cm  横幅:46cm 注:石垣中央部にある碑文プレートのみの大きさ

M口クイ氏 頌徳碑の緯度経度(GPS実測値)
 名称:M口クイ氏 頌徳碑  場所松原本町5番地1 松原小学校(運動場東端側)
 GPS実測値:32度58分23.31秒 129度56分35.43秒  (国土地理院)地図検索用 
 グーグルアース用数値:32°58'23.31"N,129°56'35.43"E  標高:GPS高度計は1.8m、気圧高度計は5m、地図上の標高は1.6m

まとめ



 (この原稿は、現在、準備中。しばらく、お待ちください)


・松原小学校の記念碑関係ページ: 「福田寅作氏の寄附記念碑」  「二宮金次郎像」  「川添福一氏の寄附記念碑」 「M口クイ氏 頌徳碑」 「松原小学校 創立百周年記念碑」 「田崎俊作氏の吉野桜の寄贈記念碑」  「松原の救護列車の碑


(初回掲載日:2020年1月28日、第二次掲載日:1月30日、第三次掲載日:1月31日、第四次掲載日:2月2日、第五次掲載日:2月6日、第六次掲載日: 月 日、)

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