大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など | 田崎俊作氏の吉野桜の寄贈記念碑 |
概要紹介 | 掲載中 |
1)記念碑内容について | 掲載中 |
2)記念碑の大きさなど | |
緯度経度など | |
まとめ | - |
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。 |
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概要紹介 注1:この記念碑の名称について、表面碑文の大文字部分が本来ならば正式名称になるのかもしれませんが、桜の本数部分は、省略して「田崎俊作氏の吉野桜の寄贈記念碑」としている。 注2:この碑に氏名が彫ってある寄贈者の田崎俊作氏は、1956年10月に有限会社田崎真珠商会(現在の「株式会社TASAKI」)を設立された方である。<詳細は「株式会社TASAKI」の「沿革」ページなどを参照」
松原小学校の敷地内にある記念碑ですから、当然のことながら、田崎俊作氏が校庭内に吉野桜の苗木(もしくは、その購入資金)を寄贈されたということです。そのことに感謝して、建立者がたてられた記念碑と思われます。この記念碑の本体部は、自然石です。 (写真1、2)の中央部には、御影石風の碑文石プレートが、本体部の自然石にはめ込まれています。その碑文は、横書きで3行あります。 最上部が大文字で吉野桜50本、2行目が(中文字で)寄贈年月日と思われる昭和63年10月21日(1988年10月21日)、(前同)3行目に寄贈 田崎俊作 氏とあります。本記念碑自体の建立者名はないのですが、先の書き方からして同校(育友会)や松原地区の関係者が建てられたと推測されます。 注3:右側の(写真3)=「碑文のCG」は、(写真1、2)の記念碑中央部に見えている御影石風の碑文プレートである。ただし、長年の風雨により、肉眼で碑文全体は判読できるが、写真にした場合、文字によっては見えにくい、あるいは色落ちや色重なりなどしている文字もあるので、今回、全文字を実物と同系色でCG加工したものである。
1)記念碑内容について (写真1、2)の記念碑本体の表面中央部には、碑文が彫ってあります。それは、(写真3)の碑文のCG写真を参照願います。このCG写真でも充分、文字は見えていますが、念のため、ホームページ用に下記の通り、太文字で書いています。 また、この記念碑の建立年は、1989年のことと推測されます。そのため、松原小学校にある他の記念碑類に比べましたら、まだ、新しい方といえます。そのようなことと、難しい漢字もないので、大村の記念碑、石碑や碑文(目次)シリーズで、毎回のように解釈の補足や注意書き含めて詳細に書いています口語訳については、今回は簡略しています。 <表面碑文> 吉野桜50本 昭和63年10月21日 寄贈 田崎俊作 氏 <上記の口語訳> 「(松原小学校へ)吉野桜50本(の苗木もしくは、その資金を)寄贈していただいた。それは、昭和63年10月21日(1988年10月21日)であった。その寄贈者は、田崎俊作氏である」 2)記念碑の大きさ、緯度経度など このページの(写真1、2)を参照願います。これらの写真に写っています自然石と、その中央部の御影石風の碑文石プレート含めて、松原小学校 田崎俊作氏の吉野桜の寄贈記念碑です。その大きさと緯度経度は、下表二つを参照願います。あと、下表の数値は、あくまでも参考程度に、ご覧願います。また、数値未記入欄は、ご容赦願います。
まとめ (この原稿は、現在、準備中。しばらく、お待ちください) ・松原小学校の記念碑関係ページ: 「福田寅作氏の寄附記念碑」 「二宮金次郎像」 「川添福一氏の寄附記念碑」 「M口クイ氏 頌徳碑」 「松原小学校 創立百周年記念碑」 「田崎俊作氏の吉野桜の寄贈記念碑」 「松原の救護列車の碑」 (初回掲載日:2020年4月29日、第二次掲載日:5月5日、第三次掲載日:5月9日、第四次掲載日:5月14日、第五次掲載日: 月 日、第六次掲載日: 月 日、) |
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