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大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など  長崎空港の名称碑 
  用語解説 掲載中
 概要紹介 掲載中
 1)碑文内容について 掲載中
 2)大きさ、緯度経度など
掲載中
   緯度経度など
-
 補足
準備中
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。
掲載中
 (写真1) 長崎空港の名称碑(空港ビル側から撮影。奥は広い駐車場)
<用語解説>
 長崎空港=長崎県大村市にある空港。国管理空港の一。本土部分と大村湾の箕島みしまを埋め立てて作った部分に分かれ、前者は大村航空基地として主に海上自衛隊が使用し、後者は民間旅客用に使われている。昭和30年(1955)に大村空港として本土部が開港。昭和50年(1975)に埋め立て部が完成して現名称に変更された。→拠点空港 [補説]埋め立て部は開港当時、世界初の海上空港として注目を集めた。本土部は現在、空港の一部として防衛省が管理している。

 注1:この名称碑は、大村市箕島町にある長崎空港ビルと駐車場の間の緑地帯にある。そのビルの前にある道路からも、空港ビルの出入口からも良く見える場所にある。

 注2:このページ掲載写真は順不同で、整理番号や上からの順番には何の意味もない。

・関係ページ:(「長崎空港)顕彰碑(空港側---注:まだ準備中)」 「長崎空港顕彰碑(森口公園側)」 久保勘一先生の銅像」 「箕島(みしま)」、「がろう島」、「そうけ島」、「赤島」、「箕島大橋の竣工記念碑」、「天正遣欧少年使節顕彰之像」   
 
   (写真2)長崎空港の名称碑(空港ビル側から撮影)
  (写真3)長崎空港の名称碑(駐車場側から撮影)

概要紹介
 長崎空港は、この周辺の大村湾に浮かぶ「
箕島(みしま)」、「がろう島」、「そうけ島」、「赤島」や海を埋め立てる工事がおこなわれ、そして、1975年5月1日に共用開始(開港)した。当時、「世界初の海上空港」とも呼ばれた。この碑文について、名称碑の両面には「長崎空港」、台座の南側の下部に(建立者名の)「大村ライオンズクラブ」の文字が彫られている。

 本名称碑の東西南北の4面には、建立年月日の碑文がないようである。そのため、あくまでも推測ながら、名称碑なので、その役目上からして先の「1975年5月1日に共用開始(開港)」と、同じような時期か、遅れたとしても、あまり期間を開けずに建立されたものと思われる。建立者は、大村ライオンズクラブである。

 本碑の評価として、二つの面にある名称部の碑文や、その黒御影石風の碑文プレート、さらには台座含めて立派な造りである。なお、
名称部の本体(プレート)の大きさは、高さ70cm、横幅1m11cm、厚さ7.5cmである。(台座部分は、下記項目「2)大きさ、緯度経度など」を参照願う)

 ここからは、ご参考までに台座上側の両面に、大きさ80cm真四角の時計が設置してあるが、空港ビル側、駐車場側からとも見やすい。

!)碑文内容について
 まず、この名称碑の正面、または裏面のことについて書く。本碑は、その碑文が彫ってある黒御影石風の加工石だけ、あるいは、その大きさや形状だけ見ても、どちらの面を表面、裏面と言うのか、分かりずらい。

 
   (写真4)長崎空港の名称碑(駐車場側から撮影)
  (写真5)長崎空港の名称碑(駐車場側から撮影)
 例えば、空港ビル側に立てば、そこから見える面が正面(表面)となろう。逆に、車で駐車場へ来た人が、空港ビルに向かって本碑を見れば、駐車場側が正面(表面)である。

 そのようなことから、どちらの面が、正面、裏面なのか、上野は正式には分かっていない。 ただ、どちらかを仮にでも決めないと、次からの事柄が書きにくいので、本ページでは、空港ビル側から名称碑を見て正面として、逆に駐車場側を裏面として、これから紹介していく。
(空港ビルから見た面)
    (碑文内容)
正面(写真1を参照)---------
長崎空港
裏面(写真2と4を参照)------長崎空港
右側面下部(写真5を参照)--
大村ライオンズクラブ(注:本碑の建立者であろう)
 
・建立年月日の碑文について
 上野が見た範囲内で本碑には、どの面にも建立年月日が直ぐに分かるような碑文は、ないようだ。ただし、この名称碑の建立年月日は、その意味からして長崎空港が開港(供用開始)した1975年5月1日と同じ頃に建立されたのではないかと推測している。

 なお、ご参考までに、上記碑文とは直接関係ないが、本碑の上部に80cm四方の時計がある。この時計の文字盤も正面、裏面ともにある。あと、その大きさゆえに、どちら側から、けっこう時刻が分かりやすい。

2)大きさ、緯度経度など
  このページ掲載写真(全部)を参照願う。名称部(本体部)表・裏面と、建立者名は、いずれも黒御影石風である。また、土台部分は、写真の通り底部が広く大きく、上部は少し細くなっている。それらの大きさと、緯度経度は、下表二つを参照願う。ただし。各部の大きさは、表面に見えている部分のみである。あと、下表の数値は、あくまでも参考程度に、ご覧頂きたい。また、数値未記入欄は、ご容赦願う。
 

長崎空港の名称碑)の大きさ

 全体  高さ:1m37cm  -  -  -
 本体(名称部分)  高さ:70cm  横幅:1m11cm  厚さ:7.5cm  胴囲: m cm
 台座  高さ:1m37cm  (底部の)横幅:2m6cm  (底部の)奥行き:1m7cm  周囲: m cm
 上部の時計  高さ:80cm  横幅:80cm    


長崎空港の名称碑の緯度経度
 名称:長崎空港の名称碑  場所箕島町、長崎空港ビルと駐車場の間の緑地帯
 GPS実測値:32度54分52.29秒 129度55分21.88秒  (国土地理院)地図検索用 国土地理院の地図
 グーグルアース用数値:32°54'52.29"N,129°55'21.88"E  標高:


補足
 

 (この文章は、現在、準備中。しばらく、お待ちください)


・関係ページ:・関係ページ:(「長崎空港)顕彰碑(空港側---注:まだ準備中)」 「長崎空港顕彰碑(森口公園側)」 久保勘一先生の銅像」 「箕島(みしま)」、「がろう島」、「そうけ島」、「赤島」、「箕島大橋の竣工記念碑」、「天正遣欧少年使節顕彰之像」  

(初回掲
載日:2024年9月7日、第二次掲載日:9月26日、第三次掲載日:10月17日、第四次掲載日:10月27日、第五次掲載日 月 日、)

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