第49回例会報告
日時:2013年7月16日19時30分〜21時15分、
参加:5名 、場所:福重住民センター
報告など(前回2013年5月21日例会以降から主な事項のみ)
(1)6月1日、冊子『現代技術を用いた郷土史研究<誰でもできるデジタル七つ道具>』発行 (長崎新聞5月30日付け記事で紹介して頂いた)
(2)6月3日、大村ケーブルテレビ取材(福重地区史跡説明版、6月10日〜11日に放送)
(3)6月6日、郡岳登山、太郎岳大権現関係史跡のGPS測定(約30か所計測)
(4)6月7日、竹松遺跡ついての県教委発表(6月7日〜8日報道あり)
(5)6月16日、桜が原中学校で増元会長が大村空襲関係の講演(中学1年生、約270名)
(6)6月27日、市役所記者クラブなどに<彼杵郡家(郡衙)の「竹松(遺跡)中心説」に疑問あり>」の文書提出
(7)7月1日、草場町老人会・郷土史講演会(草場公民館、約30名)
(8)7月2日、沖田町老人会・郷土史講演会(沖田公民館、35名)
(9)7月7日、道教関係で長崎市田上町周辺の調査
(10)7月10日、日本道観ご一行(3名)と懇談会
(11)7月15日、大村ケーブルテレビ取材(草場町紹介、7月26日〜27日に放送予定)
<議題>
1)道教と漢字二文字の石塔について(増元会長の報告)<1時間近くの報告のため概要のみを下記に書いている>
(1)福重町にある(石走道祖神と石走線刻石仏について、古いガリ版刷り資料が見つかった。その記述には、従来説と違う内容が書いてあった。石走道祖神に彫られていた碑文は従来説と違って、道看”(どうかん)であった。
(2)道看(実物は”看”の俗字である)の文字について、現代では道観と同じ意味である。これは、道教そのものである。(下記の注を参照)
注:<国語辞典の大辞泉によれば、道観(どうかん)=1 道教の寺院。道士のいる建物。観。 2 仏語。人を感化して善に導くことと、みずから空(くう)の理を悟ること。化道(けどう)と空観。 >
(3)道看以外に、陽林(弥勒寺公民館敷地内)、三伯(松原一丁目、東光寺跡)、陽白(松原一丁目、個人宅横)もあるが、この合計4石塔とも全て道教と関係ある。
(4)日本道観から出版されている広報誌によると、道看、陽林、三伯、陽白とも道教と関係していて、それぞれ意味があると言う。(内容掲載は省略)
(5)福重地区にある線刻石仏(13体)は、その姿・形からして今まで仏像(石仏)と言われてきた。しかし、13体の中で仏像ならば大抵ある蓮華座が1体もない。また、同様に光背があるのは2体だけである。
仏像は手の形から直ぐに例えば薬師如来、大日如来などと判断がつく。しかし、福重の線刻石仏は衣の下に手を隠して見せないようにして拱手している姿が全部である。
これは仏像ではなく、もしかしたら神像あるいは神仏習合像の可能性もある。(詳細は、「福重の石仏(線刻石仏) 最大の謎 (仮説)神仏習合像の可能性も?」ページ参照)
(6)福岡県の求菩提山(くぼてさん)始め九州の山岳宗教の所には、福重の線刻石仏と似たものがある。元々、山岳宗教と道教は深い繋がりがあると言われている。福重の太郎岳大権現との関係で言えば、石走道祖神=道看のある所付近には、その一の鳥居があったとの伝承が残っている。
(7)今まで日本には道教関係はないと言われてきたが、福重や松原で関係のある石塔があるのは意義深いことである。あと、これは江戸時代のことであるが、長崎市田上町にも、道教の寺院があったという。
(8)全体通して、道教、線刻石仏については、マダマダ調査段階であって今後も継続して取り組んでいくことが大切だ。
以上が道教に関係している石塔の報告だった。(上野注:このような活動報告ページとは別に道教と関係ある4石塔については、詳細な特集ページの作成も考えている)
2)福重郷土史同好会・発足10周年記念行事
同好会発足10周年を記念して、福重郷土史講演会を開催する。
・講師:増元会長
・内容:話すテーマ含めて今後検討していく
・日時:11月10日13時30分〜15時00分の間で1時間位
・場所:福重地区住民センター・大会議室
・詳細は今秋の例会で検討していく
次回の例会予定など
・次回の例会は、2013年9月17日(火)19時30分〜 、場所:福重住民センター
(以上)
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