大村の偉人・有名人・活躍人シリーズ | はじめに |
はじめに |
大村に人が住み始めたのは、旧石器時代頃(1万3千前の野岳遺跡が有名)からといわれています。その後、縄文・弥生時代<冷泉遺跡、黒丸遺跡(2009年 沖田町の遺跡発掘現地説明会)、富の原遺跡など>、古墳時代(黄金山古墳、野田古墳群など)を経て、徐々に人口も増えていったと思われます。 ・古代の頃から文書で人の活躍も記録されていたはずだが そして、奈良時代(初期)には、松原の今山に(紫雲山)延命寺、郡岳の旧称・太郎岳大権現などが開山されてきました。さらに、平安時代には、郡七山十坊とも総称されている通り、多くの仏教寺院が郡地区(福重・松原・竹松地区)で並び立ち、仏教文化も花咲きました。また、その古代の頃から、人は文章などでの記録も付けきたはずでした。 しかし、古代の大村(主に郡地区のこと)を知るのに残念なのは、そのような古記録類が、戦国時代の天正2(1574)年、当時のキリシタンによる他宗教弾圧攻撃事件(仏教僧侶の殺害を始め神社仏閣・仏像の焼き討ち破壊、略奪の限りを尽くした事件)により、ほぼ全部の記録が無くなったことです。そのため、古代の人の歴史や文化を調べるにしても古記録は、大村には、ほとんどありません。 かろうじて、キリシタンの破壊攻撃から難を逃れた平安末期頃に多数(2018年現在で9体まで調査済み)建立された滑石製の平安仏を始め古い石仏類が合計30体(ほとんどが福重の石仏である)以上残っているだけです。念のため、文書類、仏画や木製の仏像は、皆無の状況です。このようなことから、お隣の佐賀県と大村は、ほぼ同種同様の仏教や神道含めて情報・文化が進展してきた歴史がありながら、古代に活躍した人の歴史は、記録上ない状態です。 そのような古代や戦国時代までを経ていますが、中世時代には当時の幕府や近隣の豪族同士の文書、さらには江戸時代も含めて戦記類などに、武将などを中心に大村人の功績も記述されています。 ・大村には偉人・有名人・活躍人が沢山いらっしゃる 2010年7月20日(火)〜9月12日(日) の間、当時の大村市立史料館にて「大村市立史料館・企画展 大村人グレート」が開催されました。この時、表紙、年表(奥付け)含めて全12ページの冊子(パンフレット)が発行されました。この中には、別表の通り、各分野ごと、あるいは時代別に活躍された大村(関係)人物紹介が書いてありました。
掲載については、長期間にわたると思いますが、どうか気長にお付き合いをお願いします。 関係ページ:大村市立史料館・企画展 大村人グレート (掲載日:2018年4月10日、第二次掲載日:4月19日) |
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