最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク
写真・報告 その586
2023年3月14日、長崎県央振興局へ誘導路基礎部の保全要望書を提出(概要報告)
(写真1)  (佐奈河内川の川床にある) 福重飛行場跡の誘導路橋の基礎部(コンクリートと柱穴跡) 2本(個)ある
 場所:今富町、矢次2号橋の上流側。  大きさ:(目測で)長さ約30m
幅約1m 
長崎県央振興局へ誘導路基礎部の保全要望書を提出(福重郷土史同好会)(概要報告)
 注意:
要望書の正式名称は、「佐奈河内川の川床に残る元福重飛行場用の誘導路橋の基礎部跡の保存について(要望書)」である。.(名称も長いので省略して掲載中。また、このページでは、さらに省略して「誘導路の基礎部」や単に「基礎部」とも書いているが、同じ内容である)
日時:2023年3月14日
10:00~10:15
(写真2) 2本の基礎部跡<矢次二号橋(下流側)からの撮影>
(写真3) ) 右岸側の基礎部跡丸い柱穴(等間隔である)
(写真4) 1945年頃の福重飛行場
(滑走路の右端側は現在、一直線の農道である)
右側の川が郡川、上部の橋が矢次橋
滑走路の下側左が福重小学校の跡地
場所:長崎県央振興局
出席:長崎県央振興局・建設部・河港課・河川班の方が2名
、福重郷土史同好会の上野

 
注1:福重飛行場跡の紹介ページは、次の二つのリンク先から参照願う。  (古写真が語る)「福重飛行場跡」 (史跡説明板の)「福重飛行場跡(今富町側に設置分)

 注2:「福重飛行場の誘導路橋の基礎部(コンクリートと柱穴跡)」紹介ページは、ここからご覧ください。

 注3:郡中学校での「郡地区の空襲・戦争遺跡」の講話(概要報告)は、次の二つのページを参照願う。 「2021年10月7日、郡地区の空襲・戦争遺跡の講話」 「2022年10月25日、郡地区の空襲・戦争遺跡の講話

<用語解説>
・誘導路(
ゆうどうろ:):「飛行場で、滑走路と駐機場との間の、飛行機を誘導するための道路」(デジタル大辞泉より)
・基礎部
(きそぶ):「(注:1は省略) 2 建造物の荷重を支持し、地盤に伝える最下部の構造物。地形 (じぎょう) ・土台など」(デジタル大辞泉より)
 補足:この誘導路橋の場合は、佐奈河内川(さながわちかわ)の川床に柱穴を含むコンクリート製の土台を指している。
そして、当時、この橋や誘導路を使い、飛行機が竹松にあった大村海軍航空隊と、福重飛行場との間を行き来していた。

・上記の補足説明2022年10月25日、郡地区の空襲・戦争遺跡の講話の時、郡中学校1年生へ上野は、この誘導路橋の基礎部について、概要、次の<>内を説明した。
 <(前略)  今富町、佐奈河川(さながわちかわ)の川床に残る誘導路橋の基礎(丸太の柱穴の残るコンクリートで今でも頑丈に残っている。大きさは長さ約30m、幅約1m) この誘導路橋の目的は、福重飛行場と、竹松にあった飛行場(大村海軍航空隊)との間を行き来した飛行機を通す(道路)である。また、両側から行き来した場合に接触しないように、または向きを回転させるために使用されたと思われる。>

要望事項の概要説明
 (福重郷土史同好会の上野から要望書の提出にあたって次の概要説明をおこなった。また、下記の太文字は分かりやすいように今回、上野が付けた)
   はじめに、「2020年7月6日の大村水害」で佐奈河内川などが決壊し、堤防・その他を皆様(県央振興局)の方で復旧工事などをして頂き、地元の者として大変感謝したい。

 この要望内容は、既に皆様も佐奈河内川の方で現地を何回も見ておられるし、また、要望書にも詳細に書いているので、ここでは簡潔にお話したい。
(1) この誘導路橋の基礎部は、いまでは大村市内で数少ない戦争遺跡の一つである。また、福重飛行場跡に次いで市内外から見学者が多い所である。

(2) (地元の)郡中学校1年生(約220名)が毎年10月に戦争遺跡見学としての学習の教材にもなっている。その感想文の中に例えば「特に印象に残ったのが誘導路橋の基礎だった」などと(ほぼ同内容で多 数あり)も寄せられている。 やはり、実物の戦争遺跡の持つ力は大きいし、戦争の悲惨さ平和の尊さなどを学習できる貴重さもある。なお、今年2023年も中学生の見学が予定されている。

(3) この佐奈河内川周辺は、戦後に4回の水害や豪雨(注A参照)に遭っている。しかし、川床にあるコンクリート製の基礎部は約80年経っても壊れていないので、土木技術上も興味がある。そして、この基礎部が現状のままあっても川床にあるので、水害要因にはならないと思う。

(4) 簡単で良いので要望書に対する文書回答願う
------------------------------
 注A :4回の水害や豪雨」とは、「1957(昭和32)年の大村大水害」 「1962(昭和37)の大村水害」 「1982(昭和57)の長崎大水害」「2020年7月6日の大村水害」を指している。念のため、豪雨と言っても大被害もあれば、その名の通り「豪雨」だけで済んだ場合も当然ある。

要望書の内容

 (この項目は、準備中。しばらく、お待ちください)


関係ページ:「福重飛行場の誘導路橋の基礎部(コンクリートと柱穴跡)」 、(古写真が語る)「福重飛行場跡」 (史跡説明板の)「福重飛行場跡(今富町側に設置分)

大村空襲・戦災・戦争遺跡・記録など もくじ」ページ、 「佐奈河川(さながわちかわ)

・初回掲載日:2023年3月15日、第二次掲載日:3月30日、第三次掲載日: 月 日、第三次掲載日: 月 日、第四次掲載日: 月 日、第五次掲載日: 月 日、


最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク