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冊子:福重青年団史の紹介
福重青年団史の表紙
(大きさはB5サイズ)

冊子:福重青年団史(ふくしげせいねんだんし)の紹介(概要紹介)
<冊子の概要紹介>
 福重青年団史とは、その冊子名通り、長崎県大村市福重地区(旧・福重村も含む)に、かつて存在した福重青年団歴史(主に資料や随想など)を記述した書籍です。この冊子の発行年月日、発行者、ページ数、大きさ、主な内容などの事実関係は、下表の通りです。

 冊子名

 福重青年団史

 発行年月日  昭和63(1988)年10月1日
 発行者  福重青年団
 編集責任者  村井 良民
 ページ数  50ページ  
 大きさ  B5サイズ(縦25.7cm、横18.2cm)
 内容など  ・表紙の裏に福重青年団歌の歌詞がある
 ・(発行当時団長の)寺道一郎の挨拶文がある
 ・大村市教育長より「発刊によせて」がある
 ・内容は昭和(1974)年発行の再編集(追加)版である
 ・歴代団長名(任期、団員数など)
 ・随想(歴代の団長の感想文など)
 ・福重のあゆみ
 ・福重青年団のあゆみ
 ・郷土の伝統芸能(七つの踊りの歴史などを紹介)
 ・編集後記  など

 注:青年団とは、国語辞典の大辞林によれば次の<>内通りである。 <青年団= 一定の地域に住む青年によって組織された自治団体。第二次大戦前は国家統制のもとにおかれたが、戦後は自主的団体としてレクリエーションや社会奉仕などの地域活動を行なっている。

 上表通り、この冊子の主な内容は、昭和49(1974)年に発行されたものを基礎に、再編集あるいは追加、改訂して新たに昭和63(1988)年10月1日に発行されたものです。茶色系の和紙を思わせる表装で、文字は全て活字です。

 この冊子発行目的は、その名称からして本来は、福重青年団の歴史事項が主たるものです。しかし、この冊子には、大正8(1919)年から現在も続く歴史と伝統がある福重地区敬老会(2018年開催で第100回となる)福重の伝統芸能なども詳細に書いてあり、歴史事項のデータベースとしても貴重なものです。

 注:このページ掲載の色黒写真(古写真)は、特別な説明がないものを除き、全て(1941年10月〜11月頃に撮影された思われる福重村の)「銃後の郷土」写真集から青年団関係を中心に掲載している。

1941(昭和16)年10月頃の草場郷(町)男女青年団
1941(昭和16)年10月頃の野田郷(町)男女青年団

福重青年団とは(概要紹介)
 この項目、福重青年団を語る前に、全国の青年団について、二つの国語辞典を引用しながら書いていきます。その国語辞典には、次の<>内の通りに解説されています。

  青年団(せいねんだん)一定地域に居住する青年で組織する自治団体。その原型は伝統的な若者組に求められる。第二次大戦前の修養・親睦(しんぼく)・社会奉仕団体的性格から、戦後は学習およびレクリエーション団体的性格へと変わってきた。 (大辞泉より)>

 上記辞典でも解説されている通り、青年団のルーツは、近世からあった若者組<わかものぐみ=村落別に組織された青年男子の年齢集団。普通は一五歳頃から結婚するまで加入し、村落の警備や祭礼などに若い衆頭の統率のもとに活躍した。若い衆組。若者連。(大辞林より)などにあるようです。

 ただし、全国にあった若者組が、江戸時代の大村領に、同じ名称や団体自体が存在していたか、どうかは正確には不明です。しかし、若者組と似たような組織としては、どこにもあった可能性も否定できないと思われます。

・福重青年団の発足
 後の項目で詳細に書きますが、この福重青年団史の10ページ「沿革」項目に、この青年団発足前後について、概要は記述されています。それを一部省略して、さらに注釈を交えて書き直しますと、次の「」内のようなことです。

 「 明治43(1910)年、村の先覚者たちが福重農事研究会を組織して研究した。小学校卒より35才までの会員、200名程度で農事研究、珠算、体育(角力=相撲のこと)などの錬磨に努めた。青年会と名称を改めた。

 大正6(1917)年頃に、その筋の達し(上野注:国や行政からの命令か?)によって、従来の青年会の機構を改め、自治制となって、18才から25才までを団員とした。大正7(1918)年4月に福重青年団と改称された 

 そして、大正9(1919)年、当時の文部・内務両大臣から、長崎県下に、ただ一つの優良青年団として表彰されたことを契機に敬老会が開催されました。この(当時、福重村、現・福重地区)敬老会の歴史や現在の状況は、「福重地区、敬老会の歴史について(敬老の日の行事も含む)1919年=大正8年から継続中」ページを参照願います。

  先の行事は、高齢者を敬老する内容だけでなく、大村市内に青年団の団員が多かった時代には、市内スポーツ大会の予選も兼ねていました。敬老会のあった日、午前の時間帯には、例えば100mとか中距離競争などの運動会もありました。そして、例年、運動会最後におこなわれた町内対抗リレーなどは、全町内全参加者の大声援・大歓声もあり、大きく盛り上がったものでした。

 さらには、福重村(地区)には、七つの伝統(郷土)芸能もあり、その主力は、青年団員で、毎年交代で敬老者に披露していました。それら以外にも、本来の事業である各種(農業関係など)の研究、青年団員間の交流・懇親の行事も、戦前・戦後ともあったようです。

 しかし、最盛期200名以上いた団員が昭和40(1965)年の数年前から100名を切り、その後も団員数減少が続きました。そして、この福重青年団史が発行された昭和63(1988)年には、団員数23名でした。その後しばらくしてから、福重青年団は、自然に解散したような状況になりました。

1941(昭和16)年10月頃の沖田郷(町)と今富郷(町)の女子青年団

福重青年団史の発行目的
 この青年団史の発行目的は、4ページの「青年団史を手にされる皆様へ」=下段(点線----以下に全文あり)に書いてあります。その文を箇条書き風にまとめ直しますと、主に次の(1)(4)の4項目が発行目的と言えるでしょう。なお、たびたび同じ文字が出てきます「敬老会」は、既に先の項目にも書いていますが、戦前戦後通じて福重青年団の年間最大の行事でした。

 さらに極簡単に分かりやすく言えば「村全体の運動会も兼ねた敬老会だった」と言えるでしょう。そのことも前提に下記を読んでいただければ、何故繰り返し表現されているか、分かりやすいと思われます。

・福重青年団史発行目的のまとめ
 (1)昭和63(1988)年で敬老運動会が第70回の記念大会となり、、それを記念して発行した。

 (2)福重青年団史は既に昭和49(1974)年に出来ていた。しかし、その後、このことや団の輝かしい実績などについて知る人が少なくなっていたので再編集・再発行することにより再度多くの人に知ってもらおうと思って作成した。

 (3)明治時代の青年団発足、さらには戦前戦後を通じて幾多の困難があっても、それらを乗り越えられて福重青年団を継続発展された諸先輩方に敬意を表する意味を込めた。

 (4)団史を多くの方に読んで頂き、これからも若者育成に多方面からの協力を訴える目的もある。

 下記点線内は、その全文(青文字)ですが原文が縦書きのためホームページ用に横書きに直しました。
----------< 青年団史を手にされる皆様 >------------------------------
 昭和六十三年を以って第七十回の敬老会運動会となります。その記念大会として福重青年団史を発刊させて戴くこととなりましたが、この青年団史は、昭和四十九年に福添喜平氏により 再編されたものをもとにこのほどまとめたものです。再編されたものを知る人は少ない上に、 福重青年団のおいたち、そしてその輝かしい功績をも知る人もいなくなってはという思いで、 この敬老会の記念大会に合わせて青年団史を発刊する運びとなりました。

 大正七年四月より福重青年会から福重青年団として改められ、翌年第一回として敬老会が開 催され今日に至っている次第ですが、この間、幾多の困難を乗り越えられてきた先輩方、特に第二次世界大戦という激動する時代にあたり、戦後敗戦という貧困する時代を生き抜かれてきた先輩方に対し敬意を表する次第です。

 また、大正八年には内務・文部両大臣より他の模範として、県下にただ一つ表彰を受けられたことは、我々福重青年団員はもとより、福重地区にとって誇りであり栄光であります。少しでも多くの方に読んで戴き、若者育成のため今後も福重青年団に御協力願えれば幸いに存じま す。

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1941(昭和16)年10月頃の立福寺郷(町)男女青年団勤労奉仕(稲刈りと掛け干し作業)

福重青年団史の主な内容
 この福重青年団史の表紙や内容を順に書きますと、主には次の事柄が記載されています。なお、下記( )内などは、上野の補注などです。

  ・表紙 、 ・福重青年団歌 、 ・青年団史を手にされる皆様へ 、 ・敬老会と青年団(発行当時団長の挨拶文) 、 ・発刊によせて(大村市教育長より) 、

 ・中表紙 、 ・序 、 ・はしがき 、 ・沿革 、 ・時代の流れと青年団 、 ・福重青年団歴代団長名(氏名と団員数など) 、 ・随想(元団長や元の男女団員合計8名の青年団当時の思い出や感想など) 、

  ・付記 郷土の伝統芸能沖田踊(沖田)寿古踊(寿古)、重井田浮立(重井田)龍踊(立福寺)鍬踊及び新地節(野田)今富浮立(今富)> (上野注:各郷土芸能の歴史などが詳細に書いてある)

 ・福重のあゆみ(年表) 、 ・福重青年団のあゆみ(年表) 、 ・編集後記 、 ・福重青年団史協力者(名簿 、発行関係の記載など)

 上記内容の詳細紹介は、省略します。元団長などが書かれた随想は、やはり1年間で最大の行事だった敬老会運動会が、一番内容的には多いものです。それだけ、準備、本番、後片付け、その他で苦労され、あるいは楽しみの行事でもあったことが分かります。

 あと、付記 郷土の伝統芸能ページは、福重の郷土芸能を調べる上で、「重井田浮立(重井田)龍踊(立福寺)鍬踊及び新地節(野田)今富浮立(今富)」については、これほど詳細な記述はないほど貴重な記録でもあります。

補足

  (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)

(初回掲載日:2017年8月24日、第2次掲載日:9月9日、第3次掲載日:9月12日、第4次掲載日:9月13日、第5次掲載日:9月16日、第5次掲載日: 月 日)
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