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大村の歳時記シリーズ 育苗箱・苗床・苗代
写真1:田植え機械用の育苗箱  (大村市今富町にあるJA長崎県央・北部ライスセンター西側。2019年6月1日撮影)

写真2:田植え機での田植え作業(2015年6月21日) 

育苗箱・苗床・苗代(いくびょうばこ・なえとこ・なえしろ)
 まず、おことわりを先に書きます。今回の「育苗箱・苗床・苗代」の3名称とも、その目的は、田植え前の苗を生育していくことには変わりありません。

 しかし、時代によって3種類とも、その内容や作業方法については、大きく違っています。 <ご参考までに、先に掲載中の「田起こし(たおこし)」  「代明け(しろあけ)代掻(しろかき)」  「田植え(たうえ)」  「苗かがり」ページなども関係あります>

 念のため、先の3名称について、私は、「いくびょうばこ・なえとこ・なえしろ」と、送り仮名を書いています。ただし、これは全国の呼び方と違って、大村で広く使われている言葉を書いているだけです。例えば「苗床(なえとこ)」について、国語辞典では、「なえどこ」、同じく「苗代(なえしろ)」について、「なわしろ」と解説されています。

 あと、育苗箱は、田植え機械で田植え(たうえ)するようになってからです。つまり、田植え機械が一般化するまでは、、育苗箱式ではなく、種(たね)の田んぼへの直まき(じかまき)を除けば、ほぼ全て苗床・苗代方式でした。ただ、少しややこしいのですが、育苗箱時代になっても、この「苗床・苗代」の言葉自体は、育苗箱を準備あるいは苗を生育させる時に、そのまま使われています。

写真3:手植え頃の苗床苗かがり作業
<1960〜1965(昭和35〜40)年頃、大村市今富町にて>
昔の苗床・苗代について
 上記にも書いていますが、田植え機械用の育苗箱であっても、その準備や生育の期間中などには、この言葉「苗床・苗代」は、現在も、そのまま使われています。そのため、この項目では、「昔の苗床・苗代」と、わざわざ頭に「昔の」と書いていることは、ご注意願います。

 <写真3を参照> まず、この写真は、田植え機械がなかった頃に撮影されたものです。<1960〜1965(昭和35〜40)年頃、大村市今富町の田んぼにて> 写真手前側が分かりやすいですが、苗が高さ20cm前後に成長しています。

 そして、写真に写る6名の方は、その「昔の苗床・苗代」にて、苗が生育したため、手に持てるように苗を束ねているところです。あと、写真奥側では、別の田んぼへ田植え用に運び出すため、その束ねた苗を、さらにまとめているところと推測されます。

 なお、この「昔の苗床・苗代」用の田んぼは、当然、各農家によって違います。ただし、少し共通しているのが、いくつかありました。まず、どの農家も、たいていの場合、井手(用水路)から水が入りやすい(井手の上流側)田んぼで、しかも束ねた苗を運び出しやすい便利な所が多かったです。つまり、”田んぼの一等地”みたいな場所でした。


写真4:田植え機用の育苗箱と苗
写真5:育苗箱から田植え機へ苗の補充中 
田植え機用の育苗箱について
 昔から田植え(たうえ)と言えば一部、種(たね)の田んぼへの直まき(じかまき)を除けば、ほとんどが手植えでした。その方法を劇的に変化させたのが、(私の大ざっぱな記憶ながら)1970年前後頃から大村市内でも登場した田植え機です。

 そして、この機械に供給するのが、育苗箱で育てたです。<写真1、2、4、5参照> この育苗箱は、それまで、「昔の苗床・苗代」用の田んぼで、苗を育成させていた方法までも画期的に変えました。つまり、育苗箱で育てる方法に変えれば、田んぼ(水田)ではなく、例えば農家の庭でも苗は、育成できました。

 そして、 「苗かがり」という重労働も、農家かから解放するものでした。(それに掛かる人数も少なくなりました) ですから、稲作をおこなう農家は、育苗箱田植え機導入は、数年も待たずして一気に変わったと記憶しています。

・育苗箱の大きさや敷紙など
 あと、この育苗箱のサイズについて、箱の外寸<横幅約30cm、奥行(縦)約60cm、高さ約4cm(弱)>は、導入当初も現在も変わりないようです。しかし、箱の内寸の方は、育苗箱製造メーカーによって、少しだけサイズが違っているようです。ただ、田植え機の苗を備え付ける所(苗載台)が、どの農機具メーカーも、ほぼ同じですから、ほとんど横幅約30cm弱=大体28cmは、当初から変わっていないと思われます。

 あと、箱の底に敷く物=敷紙が、当初は新聞紙だったような記憶が残っています。今現在では、育苗箱専用の敷紙が使われているようです。この敷紙は、苗がよく育ち、取り出す時の苗箱離れを良くするためでしょう。また、育苗箱の底に空いている穴の形状も数も当初の頃から、変化したように思えます。

 いずれにしても、育苗箱も、その箱での苗の育て方も、あるいは田植え機械に備え付ける方法それ自体は、導入当初から基本形自体は変わっていないようです。しかし、個々の作業方法、育苗箱や田植え機の構造などは、年々、変化(進化、改良)されているようです。

写真6:中央部が育苗箱(奥が北部ライスセンター。手前が佐奈河内川)
・苗の購入方式へ変化
 先に述べたように、農家自ら育苗箱で苗を育てる方式ならば、その場所は、水の確保・供給、さらには運び出しやすい農家の庭や、水田ならば”田んぼの一等地”みたいな所でした。しかし、何年頃からか不明ながら、農協などで苗を大量に育て、そして、その苗を農家が購入する方式へ変わってきました。 (写真1、6を参照)

 例えば、大村市の北部では、今富町にあるJA長崎県央・北部ライスセンター周囲で、春になれば何百箱という単位で育苗箱で苗が育てられています。そして、各農家が必要数に応じて、苗を購入する方式が実施されています。当然、田植え機で田植えが終われば、箱は返却されます。

 このような苗の購入には、当然費用は掛かります。しかし、育苗箱に種をまき、そして、育成させるやり方は、その準備も期間もかかりますので、農家はそのことからも解放されたということでしょうか。そして、その期間は、別の農作業もできます。


補足


(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)


コメ関係ページ:田起こし(たおこし) 、 代明け(しろあけ)代掻(しろかき)  、 「苗かがり」 、 田植え(たうえ) 、 稲刈り(いねかり)  、 脱穀(だっこく)  、 籾すり(もみすり)  、 精米(せいまい) 

初回掲載日:2019年8月15日、第二次掲載日:8月18日、第三次掲載日:8月24日 、第四次掲載日:8月25日、第五次掲載日:8月31日、第六次掲載日: 月 日

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