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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 馬込水源と馬込溶岩跡

(史跡説明板)馬込水源と馬込溶岩跡
 名称:馬込水源と馬込溶岩跡  様式:説明板
 場所:草場町(草場公民館から北東へ460m登った水神周辺  設置者:草場町内会、福重地区活性化委員会
 設置年:2016年3月1日(平成28年3月1日)  GPS実測値:32度58分21.18秒 129度57分20.09秒
 全体の大きさ:高さ93cm、横幅70cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°58'21.18"N,129°57'20.09"E

史跡説明板写真周辺の説明
  右側1番目写真を紹介します。(同2番目写真も参照願います) この写真の周囲は、ほぼ全て田畑です。写真奥側の中央部やや右側(南側)にある白色の看板が、馬込水源馬込溶岩跡史跡説明板です。その手前左側にあるのが、馬込の水神(石祠)です。

草場町にある馬込水源馬込溶岩跡史跡説明板
(草場公民館から北東へ460m登った所にある)
馬込水源馬込溶岩跡史跡説明板
(右側1番目写真の拡大写真)

 そして、左側に小川のように見えているのが、通称で「馬込川」です。あと、この川を約40mほど下流(西側)方向へ下った当たりの川床が、馬込溶岩跡です。

 馬込水源は、写真中央部に写っています馬込水神(石祠)の(左側)下部当たりから、コンコンと湧き出しています。あと、この水源とは別に、ここより140mほど(北東側)上流部の雑木林付近に、もう一つの泉があります。そこからも「馬込川」に通年流れ込んでいて、この水神当たりで合流しています。

 そのため、二つの泉からの水量は豊富で、戦後しばらくまでは、この馬込水神の下流側にはコメをつくための水車がありました。また、子どもたちの水遊び場だったり、さらに、この川に牛や馬を連れて来て洗ってもいたそうです。

 上野の推測ながら、馬込水源の水は、ここより東北東側にある郡岳(こおりだけ、826m)や、鉢巻山(はちまきやま、334m)に降った雨が伏流水となり、地下を長期間かけて下って来て、この地点で湧き出していると思われます。ですから、年から年中、水は一定で、また「どんな干ばつの年も水が枯れたことがない」そうです。

 そして、下記項目の「史跡説明板の内容」にも書いていますが、大昔からこの豊富な水を利用して、牛馬の飼育や農業に利用されました。そして、この近くにあったと推定される古代の駅(字の「馬込」付近)では、役人用の馬が提供されたとも想像されます。

 なお、私は、「馬や牛を飼育するには常に豊富な水が必要である」との考えから、草場町のほぼ全域で泉の所在地や、その水量を調べてまわりました。その結果、馬込水源が一番、水量豊富でした。

  延喜式(平安中期の律令の施行細則)によれば、古代の道(官道)の駅(うまや、えき)が置かれ、整備されました。その中の一つ駅として、大村には新分駅(にいきた、にきた)がありました。その新分駅の所在地は、草場町の馬込付近にあったと言う説が有力です。

 その駅を由来として、馬込(馬を泊めておく所)と言う地名(字=あざ)ができて、古代の頃より現在まで続いてきたものと思われます。そして、その駅(うまや、えき)には一説によると、「役人用に馬5頭が置かれた」ようです。その馬の飼育に、この馬込水源の水は、欠かせないものだったと推測しています。

馬込溶岩跡の写真
 右側3番目写真を紹介します。この写真自体は、下流側に架かる出口平橋の上から撮ったものです。先に説明しています馬込水源馬込溶岩跡史跡説明板のある所から40メートルほど下流に行った通称「馬込川」の川床一面が、溶岩流の跡です。

馬込溶岩跡(右側の階段を下れば川床に直ぐに行ける)

 福重地区内を流れる例えば、郡川(こおりがわ)佐奈河内川(さながわちがわ)石走川(いしばしりがわ)などの川床には、大小の石、砂利、泥などが沢山あります。しかし、右側写真の通り、この「馬込川」の川床は、まるで平たい一枚岩ばかりのように見えます。他の川に普通にあるような砂利や泥などは、ほとんどありません。

 そして、写真右端側に写っています階段の上が道路になります。逆に、この階段を10段弱下りますと、直ぐに川床に着くということです。溶岩跡自体、大村市内ならば多くの場所で見ることができます。例えば、萱瀬地区(原町、石場橋上流)郡川の川床も同じような溶岩流の跡があります。

 しかし、川床の直ぐ上の道路から観察できて、さらに階段を下れば溶岩流跡が直接手にも触られる便利な場所は、この馬込溶岩跡くらいではないでしょうか。私は、このようなことから、例えば小学校の児童あるいは、中学校の生徒さんたちの野外学習時の良い教材にもなるのではとも思っています。

史跡説明板の内容
 右側上から1番目と2番目写真の中央部やや右側に写っています馬込水源と馬込溶岩跡の史跡説明板には、下記< >内の文章が書いてあります。(右下側の説明板の画像参照) 原文は縦書きですが、ホームページ上、横書きに直しています。また、見やすくするために改行、行間なども一部変えています。

馬込水源と馬込溶岩跡の史跡説明板内容(PDFデータより加工)

 なお、この史跡の詳細説明は、「福重の名所旧跡と地形」の『馬込水源』、『馬込溶岩流跡』、あるいは『大村の古代の道と駅』 、『福重のあゆみ、古代の道と駅などから参照願います。

 < 馬込水源と馬込溶岩跡
 この周辺は「馬込水源(まごめすいげん)」と「馬込溶岩跡(まごめようがんあと)」と呼ばれている。水源は大昔からどんな干ばつの年でも枯れたことがないと言う。その泉は水神下付近と上流から湧き出ている。この水は牛馬の飼育や農業に利用された。

 古代の駅(字の「馬込」付近)では役人用の馬が提供されたが、それにも使われたと推測される。草場町の東西を通る市道は古代の道 (官道)跡との説もある。

 その市道付近にある地名(字の)馬込(馬を泊めておく所=駅)、立石(道標の石がある所) 、高縄手(高くて真っ直ぐな道)な は古代の道と駅跡から由来したと思われる。

  馬込溶岩跡があるのは道路横を流れる通称「馬込川」の川床である。これは多良山系(特に郡岳や鉢巻山)の造山活動時期に、この周辺を溶岩が流れた跡である。なお、このように道路から溶岩跡を直ぐに見られる場所は市内でも数少ない。

 二〇一六年三月一日  草場町内会・福重地区活性化委員会  >

補足


 (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)



・詳細な関係ページ:「福重の名所旧跡と地形」の『馬込水源』・『馬込溶岩流跡』・『立石様』 、『大村の古代の道と駅』 、『福重のあゆみ、古代の道と駅

(初回掲載日:2016年3月31日、第2次掲載日:4月1日、第3次掲載日:4月16日、第4次掲載日:4月 日、第6次掲載日:4月 日) 


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