福重の写真集 その616 |
2023年10月27日 大村市立鈴田小学校・地域学習「鈴田の川について」(講話の概要報告) |
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2023年 大村市立鈴田小学校・地域学習・「鈴田の川について」(講話の概要報告)
<鈴田は川が多く、水が豊かな所> 地主大明神(ちゅうず だいみょうじん)近くの田んぼから鈴(すす)が出てきた。それを、きっかけに、それまでの今里村(いまぞと むら)から、鈴田村(すずた むら)にかわった。 この 鈴(すず)は、神社(じんじゃ)にある鈴を見ても分かる通り、お願いをするくらい、縁起(えんぎ)が良い。また、鈴には、「清水(しみず)、わき水」の意味(いみ)もある。鈴田地区には、鈴田川の本流(ほんりゅう)をはじめ多くの支流(しりゅう)もある。そのため、豊か(ゆたか)な水のおかげで、水田(すいでん)が広く、たくさんコメ(米)などがとれる。 ただし、川が多い分、大雨や集中豪雨(しゅうちゅう ごうう)などあれば、水害(すいがい)も発生(はっせい)しやすい。とくに、鈴田小学校の上流(じょうりゅう)約400メートルの周辺(しゅうへん)には、川や用水路(ようすいろ)が、4本も集中(しゅうちゅう)していて水害が何回もあった所(ところ)である。 <鈴田にある川の名前と長さ> 二級河川(にきゅう かせん)----長崎県(ながさきけんの管理(かんり)する川 ・鈴田川(すずた かわ) --------------約5.7km ・稲河内川 (いながわち かわ) ---約2.3km ・針尾川(はりお かわ) --------------約2.1km・ 小川内川 (おがわち かわ) -------約3km 準用河川(じゅんよう かせん) -----大村市の管理(かんり)する川 ・日焼川(ひやけ かわ) ----------------約733m ・内倉川(うちくら かわ) -------------約1.5km ・荒川(あら かわ) ----------------------約1.7km 普通河川(ふつう かせん)------大村市の管理(かんり)する川 鈴田川、横山川、神山川 、平川、日焼川、ブツ川 、小川内川 、平田川 、似田川、 白鳥川 、稲河内川 、針尾川、早岐谷川、荒川、浦川内川、久郎川 、釜川内川 <鈴田の川の特徴(とくちょう)> 1)大村8地区で鈴田地区の面積(めんせき)は、5番目だが、川の本数は多い(おおい)方だ。 (参考までに、大村市内で面積が一番広いのは萱瀬地区で、川の本数も一番多いであろう) 2) 鈴田川に流れて来る支流(しりゅう)の本数が多い。(10本近くある) 3) 鈴田地区のどの川も、一部の平地(ひらち)をのぞいて、急流(きゅうりゅう)が多い。 4) 鈴田川は大村湾(わん)=海から1.5キロメートル上流(じょうりゅう)の白鳥川近くまで標高差(ひょうこうさ)が4メートルしかない。豪雨(ごうう)があれば、水がたまりやすい。また、鈴田小学校の上流、約400メートル周辺(周辺)は、川と用水路(用水路)が合計(ごうけい)4本も集中(しゅうちゅう)していて、何回も水害があった。 5) 鈴田川の近くに国道34号線やJR大村線が、あまり標高(ひょうこう)の高くない低地(ていち)にあるため、冠水(かんすい)しやすい。(3年前の水害でも冠水した) 6)まだ、調(しら)べが少ないが、鈴田地区の川にも、たとえば鳥(白さぎなど)、フナ、川エビ、ドジョウ、カエル、メダカ、蛍(ほたる)などの生き物が、たくさんいるとおもう。 <川は動植物を育むが、水害ももたらす> ・川は動植物を育む 人も動植物(どうしょくぶつ)も、水がなければ生きていけない。川は、人、魚(さかな)、鳥(とり)などが生きる、あるいは遊ぶ(あそぶ)場所(ばしょ)でもある。このようなことから、川は、動植物を育(はぐく)む。また、川が、何本もある鈴田地区(ちく)は、コメも野菜(やさい)も、たくさんとれて豊か(ゆたか)である。農業(のうぎょう)に向いている地区である。 鈴田の川については、まだ生き物まで調べていないが、他の川には、コイ、フナ、ウナギ、川えび、ドジョー、メダカなどを見たことがあるので、同じような生き物がいると思うので、皆さんも探してほしい。
・川は水害ももたらす 川は、恵みだけでなく、豪雨(ごうう)などあれば水害ももたらす場合(ばあい)もある。たとえば、1957年の大村大水害では、市内で19名も亡(な)くなった。鈴田でも亡(な)くなった人が数名(すうめい)あった。田畑にも大きな被害があった。また、(当時、国鉄の大村線の))線路(せんろ)の地面(じめん)が洪水(こうずい)で流され、強くて重い鉄製(てつせい)のレールさえも、グニャリと曲(ま)がった。(右側の写真参照) 鈴田小学校にも真横を流れている鈴田川が氾濫(はんらん)して、濁流(だくりゅう)が押し寄せ、大きな石が校舎(こうしゃ)や運動場まで散乱(さんらん)し、大きな被害(ひがい)があった。その後(あと)も、数回(すうかい)、鈴田地区で水害があった。3年前(2020年7月6日の大村水害は、みなさんも覚(おぼえ)ておられるとおもう。 ・質疑応答(Q&A) 下記のQ&Aは、6年生からの講話時と、事前に頂いた質問をまとめたものです。なお、Q&Aなので内容を省略して書いてますので詳しくは、このページの各リンク先、長崎県や大村市のホームページから参照願います。 Q1:鈴田の川は、いつできたのか? A1:大村の地形は、多良山系の火山が100万年前に噴火、そして、(鈴田に近い)五家原岳の25万年前に終わったと言われている。その頃から、今みたいな深い川ではないが、気の遠くなるほどの長い年数によって川がつくられてきたと思う。<「大村の土地形成」ページを参照> Q2:鈴田川の水源は、どこですか? A2:レインボー道路周辺の山波だろう。詳しくは配布した地図を参照。 Q3:鈴田川は、他の川とつながっているのか?(支流など) A3:鈴田川に流れて来る支流は、約10本ある。詳しくは配布した地図を参照。その中でも鈴田小学校の上流約400m周辺で、鈴田川の本流に流れ込む支流が小川内川、日焼川、内倉川の続きの用水路がある。つまり、本流含めて合計4本の川が合流していているのが特徴(とくちょう)だ。 Q4:鈴田川に絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)は、いるのか? A4:今回、この絶滅危惧種までは調べていない。ただし、長崎県のホームページを検索(けんさく)すると、その内容が表示されるので調べて欲しい。
Q5:鈴田川は、何回、氾濫(はんらん)しているか? A5:記録(きろく)がある戦後(せんご)以降(いこう)で、最低(さいてい)でも3回(1957年7月26日の大村大水害、1962年7月8日の大村水害、2020年7月6日の大村水害)はあった。さらに1982年の長崎大水害の時もあったかもしれないが記録が見つからない。あと戦前(せんぜん)の記録があれば、もっと水害回数は多い。 Q6:1957年の大村大水害(諫早大水害)と、3年前の2020年7月6日の大村水害と、どちらが激(はげ)しかったのか? A6:2020年7月6日の大村水害に比べて、1957年7月26日の大村大水害の雨量は、24時間雨量も1時間雨量も約2倍近く(約60%)の大きな集中豪雨(しゅうちゅう ごうう)が降った。そして、この大村大水害では、19名も亡くなった。この中には、鈴田で亡くなった方が数名(3名か?)あったと聞いた。また、水田や鈴田小学校にも大きな石や泥(どろ)が上がったり、家には土砂崩れ(どしゃくずれ)、床上浸水(ゆかうえしんすい)などが多数あり、大きな被害となった。あと、木製の橋も多くが流された。 Q7:鈴田川には、どのくらい生き物が住んでいるか? A7:今回、鈴田川は調べていないが、市内の他の川には、白鷺(しらサギ)、フナ、コイ、川エビ、カニ、タニシ、蛍(ほたる)などがいる。みなさんも、鈴田川の生き物を探してほしい。 Q8:鈴田川は、大村で何番目に長い川か? A8:大村市のデータによると、市内で一番長い川が郡川(約16.9km)で、2番目が鈴田川(約5.8km)である。 <上野の感想など> (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください) ・鈴田小学校での地域学習の講話関係ページ:(注:下記講話内容は全部、上野が担当した史跡や地形などの説明のみ」) |
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(初回掲載日:2023年10月29日、第二次掲載日:11月1日、第三次掲載日:11月4日、第四次掲載日:11月5日) |