福重の写真集 その713 |
2025年8月7日 (宮中献穀事業) 青田祭(概要報告)
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(宮中献穀事業) 青田祭の神事、奥の右側は川本ご夫妻<寿古町公民館>(撮影:2025年8月7日、以降同様) | ||||||||||||||||||
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青田祭の神事、虫追いの儀(記念写真) 中央は神主さん、両側は川本ご夫妻、後方の田んぼは宮中献穀田(斉田) | ||||||||||||||||||
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宮中献穀田(斉田)の看板と、その水田(後方、約30アール) | ||||||||||||||||||
<注:掲載写真は順不同で上からの順番などには何の意味もない> このページは、秋の宮中祭祀(さいし)「新嘗祭(にいなめさい、しんじょう‐さい)=天皇が新穀を天神地祇ちぎに供え、みずからもそれを食する祭儀。デジタル大辞泉より)に献上するコメ(米)の「青田祭」を中心に書いている。ただし、その前に、この一連の「宮中献穀事業」の行事名称は、一般には馴染みのない用語がある。また、普通の稲作やコメ(米)にちなんだ行事の場合、一例として「田おこし」「モミまき(種まき)」「田植え」「稲刈り」「脱穀」「精米」(モチコメならば)「餅つき」「餅まき」などがある。 これらは、まさしく「瑞穂の国 日本」を象徴する稲作やコメ(米)に関する歳時記である。 そのようなことから、このページでは、先に「宮中献穀事業」の行事月日や用語解説を書いていきたい。また、下記の月日は実施分含めて、2025年度、大村市寿古町で行われた(あるいは今後の予定)である。 なお、用語解説は、長崎県または大村市ホームページを参照して書いているが、上野の補足文もある。そのため、あくまでも参考程度に閲覧願いたい。引用、参照は何かの用語辞典からして頂きたい。 |
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(宮中献穀事業) 青田祭
<下記の主な内容の用語解説> ・青田祭とは、毎年11月に宮中でおこなわれるれる「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)に献上されるコメの順調な生育、、病害虫や台風などの風水害がないように祈願する神事のことである。 ・献穀田(けんこくでん)=斉田(さいでん)とは、宮中に献上するコメ(米)を育てている田んぼ(水田)のことである。 ・田草取りの儀とは、(文字通り)田んぼに生える草を取る神事である。 ・虫追いの儀とは、(同上)これから稲が生育し、花をつけるので、そこによってくる害虫を追い払う(取る)神事のことである。 <主な内容(概要)> 今回の神事は、当初、屋外で予定されていたが、降雨のため寿古町公民館で開催された。なお、公民館での神事終了後、雨の合間の時間を使い、「田草取りの儀」と「虫追いの儀」は、献穀田(斉田)で執り行われた。 公民館での神事が始まる1時間ほど前から主宰者、地元の寿古町、農協、市役所、報道や関係者が諸準備含めて待っておられた。前回の「2025年6月14日、お田植え祭」のように早乙女(さおとめ)、早男(さおとこ)や、その子どもたちの保護者の参加がなかったので、大人中心の神事となった。 定刻から神事となり、祝詞奏上(のりとそうじょう)や玉串奉奠(たまぐしほうてん)などが挙行された。その神事の後、園田•大村市長や耕作者の川本さんから今回の青田祭のことや、これからの抱負などを述べられた。お二人の挨拶(概要)は、次の通り。 園田市長の挨拶(概要) 参列の皆様へ感謝申し上げたい。5月の斉田清祓(さいでんきよはらい)と播種祭(はしゅさい)」は、土砂降り、6月の「2025年6月14日、お田植え祭」も雨、今日の青田祭も雨と、3回続けて雨であるが、恵みの雨と思っている。この青田祭は、10月に宮中に献上するコメ(稲)が風水害や病害虫に遭わないように願う神事だ。耕作者の川本さんご夫婦には、何かとご苦労して頂いているが無事育ってコメが実ることを願っている。 耕作者の川本氏の挨拶(概要) 皆様、3回とも雨なのは、天からの恵みの雨だ。お田植え祭で植えた稲は、青々と順調に育っている。これから台風など気のぬけない季節を迎えるが、立派に育って欲しいと願っている。皆様、本日はありがとうございました。 ----------・・・----------・・・----------・・・ 献穀田(斉田)にて「田草取りの儀」と「虫追いの儀」 次に、前回2025年6月14日の「お田植え祭」がおこなわれた献穀田(斉田)に移動した。そして、「令和7年 献穀事業」の看板ある横で「田草取りの儀」と「虫追いの儀」が神主さんのご指導のもと挙行された。その後、記念写真や報道各社の取材などがあった。 あと、全くの蛇足ながら、この水田での儀式終了後、間も無くしたら土砂降りの雨となり、しばらく歩けないほどであった。このような猛烈な降雨も全て天からの恵みの雨と受け止めて、これから稲の花が咲き、さらに黄金色の実を付けることを願って寿古町を後にした。 宮中献穀事業、青田祭に参加の全員の皆様、お疲れ様でした。 ----------・・・----------・・・----------・・・ ・宮中献穀事業の関係ページ:「2025年6月14日、お田植え祭」 「2025年8月7日、青田祭」 (大村の歴史シリーズの)「宮中献穀事業」 |
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(2015年10月3日撮影) 手前側は寿古町で黄金色に実った稲穂。 最奥の山並みは左側から郡岳、遠目山、離れて右側に大村で最高峰の経ケ岳が三角形状で小さく見えている。 |
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(初回掲載日:2025年8月8日、第二次掲載日:8月12日) |