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2021年、(大村市立)郡中学校・先生、戦争遺跡の下見(概要紹介)
写真A) 10月7日に下見された郡中学校の先生
今富町、招魂碑のある大神宮にて
写真B) 10月8日に下見された郡中学校の先生
皆同町、皆同砲台跡にて

(大村市立)郡中学校・先生、戦争遺跡の下見(概要報告)
(写真1) 現在の郡中学校の敷地=
第三五二海軍航空隊(「三五二空」、「草薙部隊」)跡
(写真2)  皆同砲台の極一部 (皆同町)  
(写真3) 福重飛行場跡(右側)、今富町 
(写真4) 招魂碑(左側)、今富町
(写真5) 福重砲台跡(地下室への入口)、今富町 
(写真6) 福重飛行場跡近くにある誘導路橋の土台(今富町)
(写真7) 福重飛行場(当時:長さ950m、幅30m)

日時と参加数:
・1回目:10月7日(16時50分〜17時40分)、参加:4名
・2回目:10月8日(16時45分〜17時45分)、参加:3名
参加数:合計7名(日別の参加数は上記を参照)
案内担当:上野
場所:下記<戦争遺跡見学場所>名を参照

 注1:本番の10月14日は郡中学校の出発、到着は下記のどのコースも変わりない。
 注2:しかし、「時計回り」(学校ー皆同町ー今富町ー竹松本町ー学校)で歩くグループと、「逆時計回り」(学校ー竹松本町ー今富町ー皆同町ー学校)の分かれて戦争遺跡を主に見学するので、今回の先生による下見コースも分かれて見学した。

趣旨や主な内容など
 今回、先に書いている1回目、2回目の先生の史跡巡りは、地図上だけでは分かりずらい道路状況(車道•歩道や安全確認など)、史跡の実地確認などの目的があった。

 2回とも車での見学になったが要所では降車して、上野から説明もおこなった。また、戦争遺跡とは全く関係ない古代から江戸時代までの史跡もコース周辺にあるので、その名称旧跡も紹介程度におこなった。

 なお、今回、コース順路や地図上のポイント確認が主だったので、戦争遺跡そのものの詳細説明はしなかった。史跡巡りやコース順路の確認後、学校に戻り、「14日の本番の日、天気が良いことを願いたい」と、お互いに述べ合って下見は全て終了した。

<戦争遺跡見学場所>
 先の注2の通り、「時計回り」 「逆時計回り」の違いはあるが、歩く道路も見学する場所も同じなので、下記の主な史跡名は「時計回り」順で書いている。史跡の詳細を知りたい方は、各史跡リンク先から確認して頂きたい。

 1) 現在の郡中学校の敷地=第三五二海軍航空隊(「三五二空」、「草薙部隊」)跡。<(写真1)を参照 注:当時、この「三五二空」は郡中学校から宮小路まであって全体の敷地は目測で南北約950m、東西約350mあった>

 2) 皆同町、福重地区住民センターの裏山=皆同砲台跡は小高い丘の北側部分で南北(横幅)約160m、東西(縦)約70mにあった。<(写真2)を参照 注:当時の地上部分が一部そのまま現存している。この地上部の地下に倉庫・弾薬庫・指揮所などがあった>

 3) 現在の今富町や皆同町にある細長い農道、耕作地や住宅地=福重飛行場跡<(写真3、写真7)を参照 (注:当時の滑走路の大きさは長さ950m、幅30mの薄いコンクリートだった。現在はその内、長さ約890m、幅約2.5mの一直線の農道がある)

 4) 今富町、大神宮の境内にある招魂碑(戦死した軍人、空襲で亡くなった民間人の慰霊碑である) その手前側が顕彰碑で、これに福重小学校の児童の名前もある。<(写真4)を参照> (なお、この大神宮の境内には戦争遺跡とは関係ないが「石割樫(いしわりがし)」や「亀石(かめいし)」もある)

 5)今富町の帯取の丘、福重砲台跡(当時、直径約200mの範囲内に高射砲の陣地があったという)。<(写真5)を参照> (この周辺でアメリカ軍の激しい空襲で軍人多数と福重小学校の児童も亡くなっている)

 6)今富町、佐奈河内川の川床に残る誘導路橋の基礎(丸太の柱穴の残るコンクリートで今でも頑丈に残っている。大きさは長さ約30m、幅約1m) <(写真6)を参照 注:今まで草や川よしに隠れて1本しか見えなかったが、昨年の水害で現在は2個も見えているので今の内に見て欲しい>

 以上の順番が、「時計回り」主な戦争遺跡の見学場所である。このコース順で見学が終了したならば、後の道は郡川(こおりがわ)に架かる矢次橋を渡ると竹松本町に入る。そして、この町内にできた新しい道路の歩道を歩くと、沖田町(上河原)に入り、次に国道34号線の歩道に出ると、郡中学校の正面入口となる。

 なお、もう一つの「逆時計回り」コースは、上記の番号順の逆から歩いていく順路である。そのため、戦争遺跡の名称やリンク先は、先の番号と重複省略するので省略する。

 (上記の工程では、全くの参考数値ながら、「スマホの万歩計では約6km」の距離であった)

 10月7日、8日の下見に参加された先生、お疲れ様でした。
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 下記の「関係ページ」は上記のような戦争遺跡ではないが、このコースを歩き、見学していけば必ず近くにある古代~江戸時代の史跡もあるので、ご参考程度に、その極一例をご覧頂きたい。

*関係ページ
 ・皆同町---<今富城跡> <皆同の侍の墓

 ・今富町---<大神宮> <石割樫(いしわりがし)> <亀石(かめいし)> <尾崎城跡(おさきじょうあと)> <十二社権現跡と帯取殉教地の本当の場所(史跡説明板あり)> <間違い場所にある帯取殉教地と記念碑

 なお、このコース周辺は、2021年7月6日に発生した「大村水害」の被害場所でもある。特に、佐奈河内川の今富橋周辺の田畑は、水害のままの状態でもある。

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*総合学習関係・概要報告ページ
 2021年度、郡中学校の総合学習関係・概要報告ページのリンク先は、下記の通りである。ただし、あくまでも上野が案内や講話したことのみである。そのため、総合学習関係の全部ではないので、ご参考程度にご覧頂きたい。

(1)2021年8月24日、2先生の空襲・戦争遺跡巡り

(2)2021年10月6日、1年生、総合的学習・ガイダンス

(3)2021年10月7日、「郡地区の空襲と戦争遺跡」講話

(4)2021年10月7日、8日、先生の「戦争遺跡」下見(注:このページである)



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