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2021年、(大村市立)郡中学校1先生、総合的な学習「郡地区の空襲と戦争遺跡」ガイダンス(概要紹介)
(写真1) 郡中学校1年生、総合学習のガイダンス(奥中央部:担当の先生の説明中)
 
 (写真2) 掩体壕の正面(原口町)

(大村市立)郡中学校1年生、総合的な学習「郡地区の空襲と戦争遺跡」ガイダンス(概要報告)
日時:2021年10月6日 14時50分~15時40分
参加数:全体で約220名、(生徒215名、先生5名、上野)
場所:大村市立郡中学校・体育館

趣旨:郡中学校1年生は、今年10月14日、校外学習「郡地区の戦争遺跡巡り」が予定されています。また、その前には6日には、ガイダンス、7日には「郡地区の空襲と戦争遺跡」と題した講話も予定されています。今回ページ内容は、上記の中で、6日に開催されたガイダンスでした。

(写真3) 郡中1年生、ガイダンス(配布資料の閲覧中)
(写真4)福重飛行場跡近くの誘導路橋の土台(今富町)
(写真6) 子「竹松地区の空襲」の表紙
 まず、担当の先生から一連の「総合的な学習」の日時含めた説明がありました。その後、2021年8月11日、大村ケーブルテレビで放送された「あの時は忘れない」番組=「竹松空襲と戦争遺跡」を全員で視聴しました。なぜ、この番組だったのかといいますと、10月14日予定の校外学習(空襲や戦争遺跡巡り)で竹松地区に行きたくても、その時間がないためです。

 下記の放送録画内容は、主な場面のみを列記したものです。放送内容の順番も、ほぼ下記の番号順でした。

放送録画の内容:「竹松地区の空襲と戦争遺跡」(概要紹介)
1)竹松地区の空襲写真の説明

 ・竹松地区には大村海軍航空隊第三五二海軍航空隊(略称:三五二空、通称:草薙部隊)などの軍事施設があった。
 ・1945(昭和20)年3月18日、大村海軍航空隊へのアメリカ軍による空襲
 ・竹松地区のほぼ全域が空襲に遭った。
 ・草地の飛行場だけでなく、その周辺にあった誘導路や駐機場、さらには住宅地にまで空襲が遭った。

2)佐奈河内川の川床にある誘導路橋の基礎部
 ・この場所は郡川架かる矢次橋の先(福重地区の今富町側)に佐奈河内川の川床にある
 ・この誘導路橋で飛行機を押したり、引いたいして移動させていた。
 ・川床に2個のコンクリートの基礎部がある。
 ・大きさは幅約1m、長さ約30mで、丸い穴(橋脚の丸太があった所)が同じ間隔で空いている。
 ・戦前からあるのに頑丈そのものだ。

3)竹松小学校は甚大な被害
 ・竹松小学校の空襲が特に激しかったのが、1945(昭和20)年7月5日、9日で校舎に大きな被害が出た。

4)掩体壕(えんたいごう)の説明
 ・原口町、下原口公園内に掩体壕がある。
 ・掩体壕とは、分厚く頑丈なコンクリート造りで、空襲から飛行機を守るための格納庫のことである。
 ・現在の大きさは高さ約7m、横幅約27.5cm、奥行約15mである。(注:戦争当時と大きさが少し違っている)

5)竹松の忠魂碑
 ・昊天宮(こうてんぐう)内に、主に戦争で亡くなられた軍人の慰霊碑がある。
 ・この慰霊碑には空襲に遭われた軍人犠牲者も祀られている可能性もある。

 以上が、主な放送内容でした。その後、7日の講話に使用する資料の配布や諸連絡が先生の方からありました。今回のガイダンスは、これにて終了しました。今回のガイダンスに参加された先生や生徒の皆様、お疲れ様でした。
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*関係ページ:10月7日の講話や10月14日の校外活動(戦争史跡巡り)と関係した事項のリンク先は、下記の通りである。なお、一部、戦争遺跡とは全く関係ない名所旧跡(めいしょきゅうせき)内容もある。なぜなら、それは、戦争史跡の直ぐ横、もしくは近くにあるので、参考までに紹介している。)

<福重地区>
 ・沖田町---第三五二空(通称「草薙部隊(くさなぎ ぶたい)(戦闘機の迎撃部隊)現・郡中学校の敷地から宮小路周辺までの敷地(写真1を参照)

 ・皆同町---<今富城跡>、皆同砲台(海軍指揮所と思われる地面上部で空襲対策のコンクリート屋根・空気採り入れ口など) 、 (皆同町側の)福重飛行場跡(使われていた当時は長さ950m幅30mの薄いセメント舗装の滑走路があった。現在は長さ約800m、幅2.5mの直線の農道しか残っていない.。「(皆同町側の)史跡説明板」あり )、  <皆同の侍の墓

 ・今富町---(今富町側の)福重飛行場跡(使われていた頃は幅30m、長さ950mの薄いセメント舗装の滑走路があった。現在は長さ約800m、幅2.5mの直線の農道しか残っていない。滑走路全体の長さで今富町側の方が約80%であった。「(今富町側の)史跡説明板がある。 佐奈河内川の川床には現在も誘導路端の橋脚を支えた丸い穴がいくつもあいた頑丈な幅約1m×長さ30m弱のコンクリート製の基礎=土台部が残っている) 、 

 <佐奈河内川の今富橋周辺は2020年の水害で大被害が遭った> 、<尾崎城跡(おさきじょうあと) 尾根部の先端所で一説では豪族の今富氏の居城で本丸から三の丸まであった城ともいわれている> <十二社権現跡と帯取殉教地の本当の場所(史跡説明板あり)> <間違い場所にある帯取殉教地と記念碑

 <大神宮>、<亀石>、<石割樫>、招魂碑(氏名が彫られた石碑には軍人だけでなく空襲で犠牲になられた民間人の名前もある) 、<黄金山古墳> 、<今富キリシタン墓碑> <中田橋周辺の市道(通学路でもある):2020年水害時にアスファルト舗装がめくれるほどの被害が出た。この周辺の水田も被害が大きい

 今富橋(今富公民館)周辺の尾根や、字(あざ)丸山」や市道脇6つの隧道(ずいどう)などには21航空廠廠の疎開(そかい)工場倉庫があった。防空壕にしては少し大きかった。

(写真8) (中央やや右側が)村海軍航空隊 1994年の航空写真<上記写真は「軍都」大村の歩みと市民の6~7ページの写真をトリミングしたもの>
草地の飛行場を中心に隊舎や畜舎などもあった。(場所は右から旧・大川t田郷・今津郷・黒丸郷などに飛行場はあった)
上部の直線道路は現在の国道34号線、左端側は郡川、下部は大村湾<注:左上側の「第三五二空(通称「草薙部隊)」>


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