弥勒寺町の石仏見学報告(概要)
日時:2017年5月27日14時00分〜15時30分
参加:3名(内訳:東京1名、佐賀県1名、大村市内1名が見学に来て頂いた)
案内・説明:福重郷土史同好会の上野が担当
主な見学場所:弥勒寺町公民館敷地内、熊野権現境内、石堂屋敷、シュシュにある石仏など
はじめに
福重地区(10町内)には(2017年現在)滑石製平安仏(8体、平安時代末期)、線刻不動明王像(1体、鎌倉時代中期)、線刻石仏(13体、平安末期〜中世時代)、六地蔵(5体、戦国時代)、馬頭観音(10体、江戸時代〜昭和時代)などがある。
他にも江戸時代建立の二体仏・三体仏もある。もしも、天正2年(1574年)に発生したキリシタンによる他宗教弾圧事件(仏教僧侶の殺害、寺社の焼き討ち、略奪、破壊行為)がなければ、もっと多くの仏像(特に木製)が残っていたであろう。
このページは、見学予定時間との関係で上記にある沢山の石仏の内、弥勒寺町公民館の敷地内、熊野権現境内、石堂屋敷やシュシュ内ある石仏を案内した概要報告である。
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見学概要
主な石仏の見学は、順不同ながら下記の通りであった。なお、下記番号は、便宜上、上野が付けただけである。あと、末尾に(CG)と付いているのは、線刻模様もしくは碑文をCG加工しているという意味である。
<弥勒寺町公民館の敷地内>
(1)線刻不動明王像(CG) 、 (2)弥勒寺の馬頭観音 、 (3)弥勒寺の陽林(CG)
<熊野権現の境内>
(4)三体仏 、 (5)上八龍の線刻石仏(CG) 、(6)熊野権現
<石堂屋敷>
・仏頭---
(7)仏頭その1 、(8)仏頭その2(CG) 、(9)仏頭その3(CG)
・滑石製の平安仏----(10)単体仏A(左側) 、(11)単体仏B(中央) 、(12)単体仏C(右側) 、(13)単体仏D(北東側) 、
・線刻石仏---(14)線刻石仏A 、(15)線刻石仏B(CG) 、(16)線刻石仏C(現在、行方不明) 、(17)線刻石仏D(CG) 、(18)線刻石仏E 、(19)線刻石仏F 、(20)線刻石仏G(CG) 、(21)線刻石仏H 、(22)線刻石仏I
<シュシュの敷地内>
(23)下八龍の線刻石仏(CG)
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<感想など>
石仏見学の途中あるいは終了後に、上野宛に出された主な感想や意見は、次の「 」内通りであった。
「こんなに石仏が沢山あるとは知らなかった」 、 「大村市民でも知らない人が多いと思う」 、 「石仏の種類も数も多いのには驚いた」 、「何かの機会に来てもらって、福重の石仏のことで話してもらいたい」などが出された。
上野の方からも、「謎の線刻石仏の情報をお持ちでしたら、教えて頂きたい」 、「福重の石仏などのデータは既に(パソコン内に)準備しているので、呼んで頂ければ、どこにでも行って、お話したい」 、「また、福重の方にも、いらっしゃって下さい」などと話した。
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弥勒寺町の石仏見学参加者の皆様、大変お疲れ様でした。
(以上)
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