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福重の写真集 その632

2024年2月17日、福重の空襲や戦争遺跡巡り(概要報告)

福重の空襲や戦争遺跡巡り(概要報告)
日時:2024年2月17日(13時30分〜16時30分)    参加::1名(富の原在住の方)  案内担当:上野
主な場所:今富町、皆同町(具体的に巡った所は下記の太文字の名称を参照)
(画像A)  冊子「大村の福重にあったロケット戦闘機
秋水の秘密工場と飛行場
」の表紙(実物はA4サイズ)
 (写真1) 福重砲台跡(地下室への入口)、今富町 
 
 (写真2) 招魂碑(左側)、今富町
 (写真3) 右端側が福重飛行場跡の史跡説明板皆同町
(左端側が福重飛行場跡の一部=幅約2.5m、長さ約860mの一直線の農道)
(写真4) 福重飛行場(当時:長さ950m、幅30m 
 (写真5) 福重飛行場跡(右側)、今富町 
(写真6)  皆同砲台の極一部 (皆同町)
(写真7) 福重飛行場跡近くにある誘導路橋の基礎部(今富町)
 (写真8) 福重の防空壕内の海軍指揮所跡

 注1:戦争遺跡近くの古くからの史跡も説明したので下記項目名を掲載している。

 注2:念のため、この見学コースは、毎年、郡中学校1年生と先生(約230名)と、ほぼ同じ戦争遺跡だが、今回それと違う場所も説明をした。(郡中学校1年生の校外学習」報告ページの一例は、ここから参照)

 注3:下記の名称項目のリンク先は当然、掲載中だが、一部まだ未掲載もあるので、その点はご容赦願いたい)

今回の史跡巡りの趣旨
 上野は、2023年11月20日に発行した冊子「大村の福重にあったロケット戦闘機秋水の秘密工場と飛行場」を発行した。その冊子を購入された富の原の方から、「実際の場所を見たいので案内を」との依頼があったので、今回その関連場所と、近くにある古くからの史跡も案内した。

主な見学場所
 下記の見学場所は、順不同で項目や史跡名称は、まとめやすく書いているだけである。また、下記の名称からのリンク先ページは、既に掲載中もあれば、準備中で未掲載もあるので、ご注意願いたい。

 あと、見学や説明の補足として、空襲や戦争遺跡だけでなく、この近くにある例えば城跡、神社仏閣や水害場所なども車を止めたり、あるいは車上からも説明した。 また、、下記の項目は、内容によって、重複して紹介している場所もあるので、その点も、ご容赦願いたい。

1) 冊子「大村の福重にあったロケット戦闘機秋水の秘密工場と飛行場」関係
 ・秘密工場や組み立て工場跡と推測される候補地の3カ所
 ・大村海軍航空隊第352海軍航空隊第21航空廠の補給倉庫跡と思われる第1~第6隧道(防空壕)

2)福重砲台(通称「今富砲台跡」)
 ・(写真1)の通り。福重砲台は、砲台跡として戦後も何カ所かあったが、現在は、ここだけが残っている。地下壕に行ける場所かもしれないが、調査できていないので不明である。

 この福重砲台の周辺は、アメリカ軍機の激しい空襲(ロケット砲や機銃など)で軍人多数が亡くなった。また、この場所周辺は、当時、福重小学校の児童(9歳)が、戦闘機の機銃で射殺された場所でもある。

3) 招魂碑(戦死した軍人、空襲で亡くなった民間人の慰霊碑である)(今富町、大神宮の境内にある) <(写真2)を参照> その手前側が顕彰碑で、これにアメリカ軍の戦闘機の機銃で射殺された福重小学校の児童の名前もある。 (なお、この大神宮の境内には戦争遺跡とは関係ないが「石割樫(いしわりがし)」や「亀石(かめいし)」もある)

 この周辺にある史跡の関係ページ:<大神宮> <石割樫(いしわりがし)> <亀石(かめいし)> <尾崎城跡(おさきじょうあと)> <十二社権現跡と帯取殉教地の本当の場所(史跡説明板あり)> <間違い場所にある帯取殉教地と記念碑

4)福重飛行場跡は、現在の今富町や皆同町にある細長い農道、耕作地や住宅地<(写真5、写真9)を参照 (注:当時の滑走路の大きさは長さ950m、幅30mの薄いコンクリートだった。現在はその内、長さ約890m、幅約2.5mの一直線の農道がある)

 ここは、従来説では、竹松にあった大村海軍航空隊の「第二飛行場」や「代替え飛行場」と言われてきたが、冊子「大村の福重にあったロケット戦闘機秋水の秘密工場と飛行場」に明らかにしている通り、仮にロケット戦闘機秋水が完成していたら、その秋水用の飛行場であった。

5)誘導路橋の基礎(丸太の柱穴の残るコンクリート(<今富町、佐奈河内川(さながわちがわ)の川床。写真8を参照>今でも頑丈に残っている。大きさは長さ約30m、幅約1m。 注:この周辺は「2020年7月6日、大村水害」で大きな被害があり、現在、川の拡幅や矢次2号橋の架けかけ工事中である。

5) 皆同砲台跡(皆同町、福重地区住民センターの裏山)は、小高い丘の北側部分で南北(横幅)約160m、東西(縦)約70mにあった。<(写真4)を参照 注:当時の地上部分が一部そのまま現存している。この地上部の地下に倉庫・弾薬庫・指揮所などがあった>

6) 福重の防空壕内の海軍指揮所跡
 ここには、二つの防空壕が現存している。市道に面した入り口付近は、目測で4m弱で奥になれば細くなっている。地元の伝承では、数十メートルさきで繋がっていて、大神宮の一の鳥居ちかくの斜面に穴があいていたという。

 以上が、福重地区における今回コースの主な空襲と戦争遺跡の見学場所である。

 あと。この日は行っていないが、現在の郡中学校の敷地も戦前は「第352海軍航空隊」があった場所である。

上記以外にも福重地区には、まだまだ、「野田の機銃台跡」 各町内に残る防空壕などもある。さらには、地元の方からの情報により、今まで知られていなかった戦争遺跡もあるが、今回このページでは、その紹介を省略している。

 今回の見学に参加された方、お疲れ様でした。
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 下記の「関係ページ」は、上記の空襲や戦争遺跡ではない事項も含めて、掲載しているので、ご参考程度に、その一例をご覧頂きたい。

*関係ページ
 冊子「大村の福重にあったロケット戦闘機秋水の秘密工場と飛行場」関係

 ・福重飛行場跡
 ・誘導路橋の基礎(丸太の柱穴の残るコンクリート
 ・福重の防空壕内の海軍指揮所跡

 ・大村海軍航空隊
 ・第352海軍航空隊
 ・第21航空廠

 ・今富町---<尾崎(おさき)城跡
 ・皆同町---<今富城跡> <皆同の侍の墓
 ・今富町---<大神宮> <石割樫(いしわりがし)> <亀石(かめいし)> <尾崎城跡(おさきじょうあと)> <十二社権現跡と帯取殉教地の本当の場所(史跡説明板あり)> <間違い場所にある帯取殉教地と記念碑

 なお、この見学コース周辺は、2020年7月6日に発生した「大村水害の被害場所でもある。ずっと、復旧工事中ではあるが、まだ、佐奈河内川(さながわちがわ)周辺の田畑は、水害のままの状態も一部ある。



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