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2024年、(大村市立)郡中学校・先生の史跡巡り(下見)(概要紹介)
(写真1)  福重端の記念碑
(沖田町、郡川の左岸にある。)
(写真2)  郡川の飛び石」の史跡説明板
(奥側は郡川)

(大村市立)郡中学校・先生、史跡巡り(下見)(概要報告)
(写真3)  好武城 (寿古町)  
(写真4)  今富城跡 (皆同町)
(写真5) 皆同砲台跡(皆同町)
 (写真6) 招魂碑(左側)、今富町
 (写真7) 福重砲台跡(地下室への入口)、今富町 
(写真8) 福重飛行場跡(右側)、今富町 
(写真8) 福重飛行場跡近くにある誘導路橋の基礎部(今富町)
(写真9) 福重飛行場(当時:長さ950m、幅30m)
日時:2024年8月26日14時00分〜14時40分
参加::10名 、 案内担当:上野
場所:下記<史跡巡りの場所>を参照


 注1:9月の本番「郡中学校1年生の史跡巡り」では、下記注22つ(時計回りと、逆時計回り)のコースが予定されているが、見学場所は、どのコースも同じである。

 注2:2つのコースは、「時計回り」(学校、沖田町ー寿古町ー皆同町ー今富町ー竹松本町ー学校)で歩くグループと、「逆時計回り」(学校ー竹松本町ー今富町ー皆同町ー寿古町ー沖田町、学校)である。

 注3:今回の先生方の下見は、車2台で同時案内だったため、上記の「逆時計計回り」(学校ー竹松本町ー今富町ー皆同町ー沖田町、学校)での見学となった。

 注4:今回のコース周辺には、本番で巡る史跡とは関係のない多数の史跡もある。また、「2020年、大村水害」も多くあった。そのため、上野が車中から説明した以外にも下記の通り、その史跡名を書いてリンク先を表示している。あくまでも、ご参考程度に閲覧願いたい。

趣旨や主な内容など
 趣旨:今回の郡中学校の先生による戦争遺跡巡りは、同校1年生の本番の日に備えて下見の意味があった。また、地図上だけでは分かりずらい道路状況(車道•歩道や安全確認など)、史跡の実地確認などの目的もあった。時間との関係で車使用の見学となった。

 なお、今回、コース順路や地図上のポイント確認が主だったので、史跡そのものの詳細説明はしなかった。なお、主だった史跡は、このページのリンク先を参照して頂ければ分かると思われる。

<史跡見学場所>
 先の注2の通り、「時計回り」 「逆時計回り」の違いはあるが、歩く道路も見学する場所も同じなので、下記の主な史跡名は「時計回り」順で書いている。史跡の詳細を知りたい方は、各史跡リンク先から確認して頂きたい。

 1) 現在の郡中学校の敷地=第三五二海軍航空隊(「三五二空」、「草薙部隊」)跡。<(写真2)を参照 注:当時、この「三五二空」は郡中学校から宮小路まであって全体の敷地は目測で南北約950m、東西約350mあった>

 2) 福重端の記念碑(沖田町、郡川の左岸にある。写真1を参照)

 3) 郡川の飛び石(皆同町、郡川の右岸にある。写真2を参照)

 4) 好武城(寿古町) この史跡についてはリンク先の好武城から参照。

 5) 皆同砲台跡と、 6) 今富城跡(皆同町、福重地区住民センターの裏山)は、小高い丘の全体は、今富城跡である。その内の北側部分で南北(横幅)約160m、東西(縦)約70mにあった。<(写真3)を参照 注:当時の砲台の地上部分と地下にある弾薬庫(砲弾庫)や倉庫が、そのまま現存している。

 7) 大神宮の境内にある招魂碑(戦死した軍人、空襲で亡くなった民間人の慰霊碑である)(今富町、大神宮の境内にある) <(写真6)を参照> その手前側が顕彰碑で、これにアメリカ軍の戦闘機の機銃で射殺された福重小学校の児童、空襲時の防空壕の落盤事故で亡くなった母子3名含めての名前もある。 (なお、この大神宮の境内には戦争遺跡とは関係ないが「石割樫(いしわりがし)」や「亀石(かめいし)」もある)

 8)福重砲台跡(今富町の帯取の丘) 当時、直径約200mの範囲内に高射砲の陣地があったという。<(写真7)を参照> (この周辺でアメリカ軍の激しい空襲で軍人多数と福重小学校の児童も亡くなっている)

 9) 福重飛行場跡は、現在の今富町や皆同町にある細長い農道、耕作地や住宅地<(写真5、写真9)を参照 (注:当時の滑走路の大きさは長さ950m、幅30mの薄いコンクリートだった。現在はその内、長さ約890m、幅約2.5mの一直線の農道がある)

 9)誘導路橋の基礎(丸太の柱穴の残るコンクリート(<今富町、佐奈河内川(さながわちがわ)の川床。写真8を参照>今でも頑丈に残っている。大きさは長さ約30m、幅約1m。 注:この周辺は「2020年7月6日、大村水害」で大きな被害があり、現在、川の拡幅や矢次2号橋の架けかけ工事中である。

 以上が、「時計回り」主な史跡巡りの見学場所である。このコース順で見学が終了したならば、後の道は郡川(こおりがわ)に架かる矢次橋を渡ると竹松本町に入る。そして、この町内に近年できた新しい道路の歩道を歩くと、新幹線のトンネル下にに入り、次に国道34号線の歩道に出ると、郡中学校の入口となる。

 なお、もう一つの「逆時計回り」コースは、上記の番号順の逆から歩いていく順路である。そのため、史跡の名称やリンク先は、先の番号と重複するので、このページでは省略する。

 今回、下見に参加された先生方、お疲れ様でした。
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 下記の「関係ページ」は、上記のような今回巡った史跡と、それ以外の史跡でもある。このコースを歩き、見学していけば必ず近くにある古代~近代までの史跡もあるので、ご参考程度に、その極一例をご覧頂きたい。

*関係ページ
 ・沖田町---<福重橋の記念碑
 ・皆同町---<郡川の飛び石> <今富城跡> <皆同の侍の墓
 ・寿古町---<好武城
 ・今富町---<大神宮> <石割樫(いしわりがし)> <亀石(かめいし)> <尾崎城跡(おさきじょうあと)

 なお、このコース周辺は、2020年7月6日に発生した「大村水害の被害場所でもある。ずっと、復旧工事中ではあるが、まだ、佐奈河内川(さながわちがわ)の今富橋周辺の田畑は、水害のままの状態も一部ある。

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2023年の関係ページ
 「2023年10月19日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)」  「2023年10月24日、ガイダンス」  「2023年10月30日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2023年11月1日、校外学習・戦争遺跡巡り

2022年の関係ページ
 「2022年9月29日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)」  「2022年10月19日、ガイダンス」  「2022年10月25日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2022年10月26日、校外学習・戦争遺跡巡り

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2021年の関係ページ
(1)2021年8月24日、2先生の空襲・戦争遺跡巡り
(2)2021年10月6日、1年生、総合的学習・ガイダンス
(3)2021年10月7日、「郡地区の空襲と戦争遺跡」講話
(4)2021年10月7日、8日、先生の「戦争遺跡」下見
(5)2021年10月14日、1年生の校外学習



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