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2024年、(大村市立)郡中学校1年生、総合的な学習「郡地区の史跡跡」ガイダンス(概要紹介)
(写真1) 郡中学校1年生、総合学習のガイダンス(黒板前は担当の先生、手前側は生徒)
 (写真2) 掩体壕の正面(原口町)
 (写真3) 皆同砲台跡(皆同町、今富城跡)

(大村市立)郡中学校1年生、総合的な学習「郡地区の史跡」ガイダンス(概要報告)
日時:2024年8月28日 13時5分~14時40分
参加数:全体で約 名(生徒 名、先生 名)
場所:大村市立郡中学校1年生の各教室(リモート式)
2023年の関係ページ
 「2023年10月19日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)」  「2023年10月24日、ガイダンス」  「2023年10月30日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2023年11月1日、校外学習・戦争遺跡巡り

趣旨:上記の通り、郡中学校にて「郡地区の史跡」についてのガイダンスが、8月28日にありました。また、9月4日には講話、そして、9月11日には、校外学習として福重地区の史跡巡りが予定されています。今回このページ内容は、上記の中で、ガイダンスについての概要報告です。 まず、担当の先生から一連の「総合的な学習」の日時含めた説明がありました。

 その後、(DVD録画上映)2021年8月11日、大村ケーブルテレビで放送された「あの時は忘れない」番組=1)竹松空襲と戦争遺跡」と今年2024年5月 日放送の2)「皆同砲台をモニターで視聴しました。なぜ、この番組の上映だったのかといいますと、9月11日予定の校外学習(史跡巡り)で竹松地区に行きたくても、その時間がないためです。あと。「皆同砲台」の方は、竹などの伐採があり今年から皆同砲台が見れるようになったためです。下記の放送録画内容は、主な場面のみを列記したものです。

(写真4) 奥のモニターで上野が竹松空襲を説明中
(写真5) 冊子竹松地区の空襲」の表紙
(写真6) 福重飛行場(上部が今富町、下部が皆同町)
 (写真7) 福重飛行場跡近くの誘導路橋の土台跡(今富町)
1)「竹松地区の空襲と戦争遺跡」
2)「皆同砲台」

<上記の主な内容>
1)「竹松地区の空襲と戦争遺跡」について
 大村海軍航空隊第三五二海軍航空隊(略称:三五二空、通称:草薙部隊)などの軍事施設があった。
 ・1945(昭和20)年3月18日、大村海軍航空隊などへのアメリカ軍による空襲
 ・竹松小学校も含めて竹松地区のほぼ全域が空襲に遭った。
 ・下原口公園にある掩体壕(えんあたいごう)=飛行機を空襲から守るの格納庫
 ・こう天宮の忠魂碑(戦史された軍人の慰霊碑)

 ・佐奈河内川の川床にある誘導路橋の基礎部
  この場所は郡川架かる矢次橋の先(福重地区の今富町側)に佐奈河内川の川床にある(「誘導路橋の基礎部」ページ参照) 大きさは幅約1m、長さ約30m。この誘導路橋で飛行機を押したり、引いたいして移動させていた。

(補足)
竹松地区は空襲も被害も多かった
 軍事施設がをはじめ広い面積で、その数も多かった・そのため空襲の回数も犠牲者も11名以上と多かった。その犠牲者の記録には、ただ「娘」と書いてある人もおた・これは推測ながら、まだ名前を届け出ていない赤ちゃんだった可能性もある。

2)「皆同砲台」について
・ドローン撮影による敷地全体の空中写真
 
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*関係ページ:10月30日の講話や11月1日の校外活動(戦争史跡巡り)と関係した事項のリンク先は、下記の通りである。なお、一部、戦争遺跡とは全く関係ない名所旧跡(めいしょきゅうせき)内容もある。なぜなら、それは、戦争史跡の直ぐ横、もしくは近くにあるので、参考までに紹介している。)

<福重地区>
 ・沖田町---第三五二空(通称「草薙部隊(くさなぎ ぶたい)(戦闘機の迎撃部隊)現・郡中学校の敷地から宮小路周辺までの敷地(写真1を参照)

 ・皆同町---<今富城跡>、皆同砲台(海軍指揮所と思われる地面上部で空襲対策のコンクリート屋根・空気採り入れ口など) 、 (皆同町側の)福重飛行場跡(使われていた当時は長さ950m幅30mの薄いセメント舗装の滑走路があった。現在は長さ約800m、幅2.5mの直線の農道しか残っていない.。「(皆同町側の)史跡説明板」あり )、  <皆同の侍の墓

 ・今富町---(今富町側の)福重飛行場跡(使われていた頃は幅30m、長さ950mの薄いセメント舗装の滑走路があった。現在は長さ約800m、幅2.5mの直線の農道しか残っていない。滑走路全体の長さで今富町側の方が約80%であった。「(今富町側の)史跡説明板がある。 佐奈河内川の川床には現在も誘導路端の橋脚を支えた丸い穴がいくつもあいた頑丈な幅約1m×長さ30m弱のコンクリート製の基礎=土台部が残っている) 、 

 <佐奈河内川の今富橋周辺は2020年の水害で大被害が遭った> 、<尾崎城跡(おさきじょうあと) 尾根部の先端所で一説では豪族の今富氏の居城で本丸から三の丸まであった城ともいわれている> <十二社権現跡と帯取殉教地の本当の場所(史跡説明板あり)> <間違い場所にある帯取殉教地と記念碑

 <大神宮>、<亀石>、<石割樫>、招魂碑(氏名が彫られた石碑には軍人だけでなく空襲で犠牲になられた民間人の名前もある) 、<黄金山古墳> 、<今富キリシタン墓碑> <中田橋周辺の市道(通学路でもある):2020年水害時にアスファルト舗装がめくれるほどの被害が出た。この周辺の水田も被害が大きい

 今富橋(今富公民館)周辺の尾根や、字(あざ)丸山」の4カ所の防空壕跡と、反対側の市道脇6つの隧道(ずいどう)などには21航空廠廠の疎開(そかい)工場倉庫があった。

(写真9) (中央やや右側が)村海軍航空隊 1994年の航空写真<上記写真は「軍都」大村の歩みと市民の6~7ページの写真をトリミングしたもの>
草地の飛行場を中心に隊舎や畜舎などもあった。(場所は右から旧・大川t田郷・今津郷・黒丸郷などに飛行場はあった)
上部の直線道路は現在の国道34号線、左端側は郡川、下部は大村湾<注:左上側の「第三五二空(通称「草薙部隊)」>


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