福重・松原の石仏調査(概要報告) 日時:2018年4月25日09時15分〜15分50分、参加数:3名、道案内担当:上野 石仏調査の主旨や目的 今回の福重・松原にある古い石仏調査は、大村市文化振興課2名の作業だった。その趣旨や目的は、主に次のような経過があった。 ・「2008年7月21日、(仏像専門家含めての)福重・松原の石仏調査」があった。(この時のべ9名参加で、内2名は県外の仏像専門の方だった) ・2008年9月4日、大村市議会にて大村市教育委員会より「福重地区にある石仏群を市有形文化財指定の方針」を明らかにした。 ・今回、上記の大村市教育委員会方針に基づき、市指定の前段階となる基礎データ作成のための本格的な石仏調査となった。 主な調査の順路 ・福重町:字(あざ)「石走(いしばしり)」にある個人宅の裏庭に古墳があり、その中に合計5体の石仏がある。それは、次の「」内通りである。 「石走の線刻石仏(CG写真)」 、「石走の単体仏1(砂岩系か?)」 、「石走の単体仏2(滑石製の平安仏)」 、「石走の単体仏3(滑石製の平安仏)」 、「石走の単体仏4(砂岩系か?)」 ・草場町:「草場の単体仏(滑石製の平安仏)」 ・弥勒寺町:(シュシュの敷地内にある)「下八龍の線刻石仏(CG写真)」 、 (個人所有地、山林内にある)「清水の線刻石仏(CG写真)」 (弥勒寺公民館敷地内にある)「線刻不道明王像(CG写真)」 、「上八龍の線刻石仏(CG写真)」 (個人所有地、石堂屋敷にある)「石堂屋敷の単体仏A(滑石製の平安仏)」 、 「石堂屋敷の単体仏B(滑石製の平安仏)」 、 「石堂屋敷の単体仏C(滑石製の平安仏)」 、 「石堂屋敷の単体仏D(滑石製の平安仏)」 「石堂屋敷の線刻石仏A」 、「石堂屋敷の線刻石仏B(CG写真)」 、「石堂屋敷の線刻石仏C(ただし、現在、行方不明)」 、「石堂屋敷の線刻石仏D(CG写真)」 、「石堂屋敷の線刻石仏E」 、「石堂屋敷の線刻石仏F」 、「石堂屋敷の線刻石仏G(CG写真)」 、「石堂屋敷の線刻石仏H(CG写真)」 、「石堂屋敷の線刻石仏I」 「仏頭その1」 、 「仏頭その2」 、「仏頭その3」 ・今回は調査できず:(個人所有地、庭先のお堂にある)「上八龍の単体仏(滑石製の平安仏)」 ・松原地区、武留路町(注:下記の石仏紹介ページは、まだ掲載していない7) 「仏岩三社大明神・線刻石仏A」 、 「仏岩三社大明神・線刻石仏B」 、「仏岩三社大明神・線刻石仏C」 松原地区、松原1丁目(注:下記の石仏紹介ページは、まだ掲載していない7) 「松原の単体仏(滑石製の平安仏) 主な調査内容: ・全部の石仏ではないが、大きさの計測、スケッチ、精密写真撮影、あるいは先の方法が諸事業で出来ない場合は、所在地確認のみも含めて実施された。 (上野の感想) まず、第一印象、私のような素人調査に比べ実に綿密に調査されていた。そして、場所によってとか、あるいは天候や時間の関係上、精密調査は次回も継続と言う石仏もあったが、初回としては充分な状況と推測された。現地案内をしながら、改めて思ったのは、何事も固定的に考えるのではなく、幅広い視野で、さらには基礎的な調査の重要さを感じた。そして、(碑文や年号などはないが)「石仏の姿形、彫り方などから多くの情報を語っている」みたいな発言を聞き、「さすがだなあ」と感心した ・関係ページ