大村辞典 | ”れ”の項目 |
”れ”の項目
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![]() <概略説明> 冷泉遺跡は1999(平成11)年におこなわれた発掘調査で竪穴住居跡6棟、石棺墓(せきかんぼ)3基、配石墓(はいせきぼ)3基がみつかった。年代は弥生時代から古墳時代に移り変わる途中(3世紀末頃)といわれている。墓からは銅鏡、ガラス玉、管玉(くだたま)、鉄製の矢じりや少刀が、住居跡からは、甕(かめ)、壷(つぼ)、鉢(はち)、高杯(たかつき)、器台(きだい)など、たくさんの遺物が出土した。(写真や詳細説明文は下記から参照を)(掲載日:2012年7月29日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)冷泉遺跡』 |
![]() <概略説明> 礫岩とは(現地の案内板から引用すると)「小石と砂が圧力を受けて固まった岩」「さざれ石とは、大石になる過程が違います。ここの石は、もともと川底にあったものが、一帯が隆起した際に一緒に押し上げられたものです」とのことである。この「(陰平町の)礫岩」の名称は単独の石と岩場全体の総称である。場所は陰平町、どんぎゅう山展望台への登り口の左側(大村湾側=西側)を下った所である。岩場全体の大きさは(目測で)高さ・横幅とも10数メートルである。(写真や詳細説明文は下記から参照を)(掲載日:2020年6月21日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)(陰平町の)礫岩』 |
![]() <概略説明> この蓮華寺跡について、大村市教育委員会設置の史跡標柱から引用すると次の<>内の通りである。<蓮華寺跡---蓮華寺は大村藩の記録「郷村記」によると、延文年間(一三五六〜一三六一)にできたと伝えられています。宗旨は分かりません。天正年間にキリシタンに破壊され、寺は無くなっています。〉> なお、ご参考までに、この標柱の真後ろ側に、この寺院名に由来したと思われる「蓮華寺水路」がある。(掲載日:2025年1月30日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの蓮華寺跡』 |
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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。 |
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