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大村辞典
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大村辞典 す”の項目

す”の項目
菅無田砦(すがむた とりで)   所在地:大村市宮代町
<概略説明> 菅無田砦の場所は峯釆女・弾正の墓碑がある周辺と言われている。その墓碑のある所は菅無田の尾根頂上付近だが、見晴らしその他にやや難があり、実際は何十メートルか琴平岳側に寄った所と推定される。砦についての古記録や基礎史料が少ないため砦の敷地さえも明確ではない。戦国時代に砦周辺及び現在の琴平岳東斜面での戦は菅無田合戦と呼ばれている。
(掲載日:2013年3月31日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『菅無田砦

菅無田の馬頭観音(すがむた の ばとうかんのん)   所在地:大村市宮代町
<概略説明> 菅無田の馬頭観音は萱瀬小学校の東側約90m、矢房神社の入口付近にある。制作年月日は 明治32(1899)年11月19日である。馬頭観音本体の大きさは高さ51cm、横幅35cm、胴囲96cmで、土台の大きさは高さ22cm、横幅43cm、周囲172cmである。基本形は三面六臂で、高さは普通ながら横幅が広い。土台にある碑文には「明治三十二年十一月十九日 菅無田郷」と彫ってある。 これは、「(馬頭観音を)明治32(1899)年11月19日に菅無田郷で建立した」と解釈される。
(掲載日:2016年10月8日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)
菅無田の馬頭観音

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寿古踊(すこおどり) 所在地:大村市寿古町
<概略説明>
 寿古踊は沖田踊、黒丸踊ととも大村の郡三踊り(こおりさんおどり)と呼ばれ、いずれも2014年3月10日、重要無形民俗文化財(国指定)となっている。踊りは、舞太鼓を中央にして垣踊が両側に縦に並び、地太鼓と歌に合わせて踊る。舞太鼓は振袖(ふりそで)に飾り袴(はかま)、腰に大小の刀、頭に月の輪をかぶり顔を布で隠し、扇とバチを持ち、白足袋(たび)をはく。垣踊は、振袖・小刀・印籠・白足袋・鍋(なべ)型笠に扇である。踊り子の他に大人の地太鼓・謡い手(うたいて)、笛が加わり行列の時は踊り子には日傘をさした女の人が付き添う。歌詞も歌い方も室町時代の面影を残す古いもので舞太鼓も古風な打ち方で、長崎県内では数少ない古い芸能の姿を伝えている。現在でも例えば大村の花祭り、大村の秋祭りなど、3年ごとに踊りが会場で披露されている。(掲載日:2018年10月6日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)寿古踊』 大村の郡三踊り(寿古踊、沖田踊、黒丸踊)の起源と様式について』、『郡三踊りは”神事芸能踊り”

寿古の玉木役所跡(すこのたまきやくしょあと) 所在地:大村市寿古町
<概略説明>
 玉木役所とは、現代風に言うならば「燃料用の薪などの木材集積所(管理所)」みたいな所である。江戸時代に編纂された(大村)郷村記に記述されている通り、この仕事は元緑8(1695)年7月頃から始まったようだが、事業終了は不明である。先の場所は寿古町の下河原で郡川河口から上流へ約500m、そこから西側へ約160m行った所である。なぜ、この場所に先の木材集積所(管理所)があったかと言うと、それは郡川の上流、萱瀬村の山から切り出した木を一定の長さにそろえて川に流して、その木を河口近くの玉木役所で集めたためである。そして、その燃料用の薪などを今度は大村湾などの海運を使い諸国に販売し、この事業は繁盛したと言う。(掲載日:2017年10月13日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)寿古の玉木役所跡

寿古の船囲場跡(すこのふねかこいばあと) 所在地:大村市寿古町
<概略説明>
 船囲場とは、その名の通り「船(舟)を係留しておく所」である。寿古の船囲場は大村湾から直接吹き付ける強い風波を避け、陸側にも近くて便利である入り江の中に船を止めておいたと思われる。その場所について、江戸時代の(大村)郷村記によれば、「福重村下河原(しもごうら=大村弁)の大江」にあったと記述されている。大村藩領絵図に描かれている入江は現在、田畑、藪(やぶ)、道路や海岸線になっているので場所の特定は難しいが、郡川河口の右岸側にあったことが絵図でもわかりやすい。この船囲場は廃城になる前の好武城の頃に使われていたと (大村)郷村記に記述されている。(掲載日:2017年6月10日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)寿古の船囲場跡

寿古の狼煙場跡(すこののろしばあと) 所在地:大村市寿古町
<概略説明>
 狼煙(のろし)とは合図や警報のために薪(たきぎ)・火薬などを用いて高くあげる煙(大辞泉を参照)で、狼煙場跡とは、そのため木を燃やしたり合図を送った跡のことである。大村には古代肥前国時代からあったと言われ例えば鉢巻山頂上にあったとの伝承がある。また江戸時代に発生したフェートン号事件<文化5 (1808) 年8月 15日イギリス軍艦『フェートン』号が突如長崎港に侵入した事件。(国語辞典の大辞泉より)>を契機に長崎県内各地で整備された」とも言われている。大村も同様で例えば鈴田(岩松城跡など)臼島寿古の狼煙場などに設置された。この場所には現在、狼煙場らしき遺跡や遺物は特にない。そのため詳細な規模や石垣などの記述もできない状況である。(掲載日:2017年11月25日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)寿古の狼煙場跡

寿古の物成札場跡(すこのものなりふだばあと) 所在地:大村市寿古町
<概略説明>
 江戸時代の一時期、当時の寿古郷(現・寿古町)にあった物成札場とは現代風に極簡単に表現するならば「税務署」みたいな役所であった。当然、徴税・納税などの仕組みも具体的方法も現代とは全く違っている。当時の農家の場合、田畑から収穫した農産物、米などを年貢(税金)として納めていた。この場所は一時期ながら長崎街道の脇にあった。しかし、文化11年(1814)に今富村・皆同村・福重村の3村が合併し、福重村となり、その庄屋(村役場)が、この物成札場の業務を引き継いだと(大村)郷村記には記述されている(掲載日:2018年5月22日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)寿古の物成札場跡(すこのものなりふだばあと)

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鈴田小学校の二宮金次郎像(すずたしょうがっこう の きのみやきんじろうぞう)  場所:大村市大里町、鈴田小学校
<概略説明> 本像の建立年月日は昭和29(1954)年2月5日で寄贈者(建立者)は渡辺薫氏である。本体は石造の立像で、小ぶりの姿形ながら顔の表情は幼くて優しい。この金次郎像の形も全国で多い負薪読書(ふしんどくしょ=背中に薪を背負い、手に本を広げて読んでいる)の姿と同じである。石像なので全体ガッシリした造りでもある。本体の大きさは高さ90cm、横幅35cmであるが、土台石や石垣などを含めると全体の高さは3m強ある。土台石の一番目に「勤勉」、二番目に「八十周年記念 寄贈 渡辺薫氏 昭和廿年二月五日」との碑文が彫ってある。この碑文からして鈴田小学校創立80周年を記念して渡辺氏が寄贈(建立)されたことが分かる。(掲載日:2017年12月13日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)鈴田小学校の二宮金次郎像

 鈴田番所跡(すずた ばんしょ あと)  所在地:大村市岩松町(岩松公民館横)
<概略説明> 江戸時代、この鈴田番所があった所は現在の岩松公民館横である。しかし、この史跡説明板は現在の岩松公園の南東端側(「鈴田小学校・創立の地記念碑」脇)に立てられている。番所とは江戸時代に交通の要所で番人が詰め通行者の監視などをした。先の史跡説明板によると、この鈴田番所は慶安2年(1649)2月、大坂浪人長井勘兵衛<豊臣秀頼家臣大野主馬(かずま)の子>を長崎で捕らえたとき、長崎奉行馬場三郎左衛門利重・山崎権八正信の命令により建てられたものである。そして非常改番所及び制札場の役割を持ち、村外の通行人の改めをしていた。(掲載日:2017年12月19日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの史跡説明板シリーズの)『鈴田番所跡・下鈴田庄屋跡

鈴田ふれあい祭り(すずた ふれあい まつり)  開催場所:大村市立鈴田小学校
<概略説明> この鈴田ふれあい祭りは2008年から毎年秋(10月)に大村市立鈴田小学校の運動場と体育館などで開催されている鈴田地区(旧・鈴田村、現在の鈴田小学校の校区)の行事である。(2016年10月23日で第9回目) この祭りは従来の9月の敬老会、10月の鈴田大神宮の秋の例大祭、ちびっこ相撲大会、ふれあい文化祭などを一つにまとめた祭りである。 その中では運動場でおこなわれる玖島中学校のブラスバンド演奏、地元の郷土芸能・各種団体による踊りや演劇の披露、農産物の直売や各種物産の販売や飲食物などのコーナーもある。体育館内では絵画・習字・生け花・俳句・盆栽・木工製品などの展示、レコード喫茶などもある。体育館前の通路周辺では年によって違うが古い農機具や古い自動車の展示などもある。毎回の祭り参加者は4,000人を越す盛況ぶりである。大村市内各地域で毎年、夏・秋には様々な祭りが開催されているが鈴田ふれあい祭りは近年最も注目を集めている祭りといえる。(掲載日:2016年11月10日)
<関連詳細ページ>・(福重ホームページの)鈴田ふれあい祭り

 鈴田大神宮神社(すずた だいじんぐう じんじゃ)  所在地:大村市大里町
<概略説明> (鈴田)大神宮神社のある場所は創建不明ながら古松権現があった所である。天正2年(1574)キリシタンの社寺焼き討ちに遭い、その後、江戸時代の寛永13年(1636)に大村薄主である大村純信によって再建された。明治3年(1870)、岸高の伊勢山にあった大神宮が、この古松権現の社に移され合祀された。同時に神社名も「大神宮神社」に変わった。岸高の伊勢山にあった大神宮の歴史について、江戸時代初期の天和(てんな)年間(1681〜1684)には既にその地に鎮座していた。祭神は天照大御神(天地の万物を照らす大神)という女性の神様で、農業全般にご利益(りやく)があるほか、縁結びの神様としても知られている。この境内には屋根が三角形状した石垣塀が築かれていて大村市内では珍しい。また、その工事記念碑もあり、江戸時代建立のものとしては市内にはあまり例がない。(掲載日:2018年1月26日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの史跡説明板シリーズの)(鈴田)大神宮神社』、(石碑・記念碑シリーズの)『鈴田大神宮(旧・古松権現)の石垣塀碑文

鈴田大神宮(旧・古松権現)の石垣塀碑文(すずただいじんぐう いしがきべいひぶん)  所在地:大村市大里町(鈴田大神宮の境内)
<概略説明> 鈴田大神宮の場所は江戸時代まで旧・古松権現であった。明治3(1870もしくは1871)年に中里町にあった伊勢山大神宮と一緒に合祀され、その後は現在の通りである。この石垣塀碑文は旧・古松権現当時、境内周囲にある石垣、石段、石垣塀その他の工事をした竣工祝いの記念碑と推測される。この碑文の年号は「天保八酉歳三月吉祥日」と彫ってあり、現代語訳すれば次の「」内通りである。「天保(てんぽう)八年(1837年) 酉歳(とりどし)3月吉祥日(縁起の良い日)に建立(竣工)した」 碑文は他かに工事関係者の人名がある。碑文全体、見やすいものである。このような外構工事とか土木的な工事竣工記念碑は江戸時代の建立としては珍しいものと思われる。(掲載日:2015年11月5日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)
鈴田大神宮(旧・古松権現)の石垣塀碑文

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鈴田峠(すずた とうげ) 所在地:大村市中里町
<概略説明> 鈴田峠は古代の道でもあり、江戸時代には長崎街道として栄えた。この道周辺には旧・長崎街道、籠立場
(かごたてば)や何十個もある藩境石(はんきょうせき、はんざかいいし)などの史跡も数多い。舗装されていない自然道は体にも良く、史跡巡りや長崎街道ウォーキングなどに持ってこいの場所である。1996年11月1日、文化庁選定により歴史の道百選に選ばれた。この道はそのまま絵や映画になるような景色も良い所でもある。この鈴田峠や旧・長崎街道の周辺は地元の方々が毎年、整備・保全されている心のこもった道でもある。(掲載日:2018年9月10日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)
長崎街道・鈴田峠(歴史の道百選)』、『籠立場跡・藩境(史跡説明板シリーズ)

鈴田道意館跡(すずたどういたちあと) 所在地:大村市大里町
<概略説明> 鈴田道意館跡は鈴田地区を流れる内倉川に沿って登り高速道路の東側で大屋敷と呼ばれる所である。一説によると鈴田道意は大村純治に仕えていたとか言われているが、基礎史料が少なく詳細は良く分かっていない武将である。江戸時代の古記録であっても今日の研究では事績も時代があっていない事柄もある。伝承ながら鈴田道意の墓が、この館跡から高速道路に沿って南南西方向約360mの町墓にある。その墓石には「蘭江道阿居士」と彫ってある。
(掲載日:2015年7月30日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『鈴田道意館跡

鈴田道意の墓(すずたどうい の はか) 所在地:大村市大里町
<概略説明> 大村市の指定史跡の標柱や説明板には「伝鈴田道意の墓」と書いてある。その墓石には「蘭江道阿居士」と彫ってある。墓碑は大里町の町墓にある。一説によると鈴田道意は大村純治に仕えていたとか言われているが、基礎史料が少なく詳細は良く分かっていない武将である。江戸時代の古記録・大村郷村記には様々なことも記述されているが、今日の研究では事績も時代があっていない事柄もある。鈴田道意の墓は長年、地元で伝えられてきた。この墓碑から高速道路に沿って北北東方向約360mの所に鈴田道意館跡』がある。
(掲載日:2017年1月12日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『鈴田道意の墓』 、 『鈴田道意館跡


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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。

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