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大村辞典
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本蔵権現(もとくら ごんげん) 所在地:大村市野田町
<概略説明>  (大村)郷村記での名称は本蔵権現であるが、場所は字(あざ)の本倉(もとくら)あるので「本倉権現」との名称使用もある。創建は不明だが(大村)郷村記によれば「本蔵権現は元々、(現在、立福寺町側にある)佐奈河内(さながわち)にあった。野田にとって不便なため万治元年(1658年)9月この地に移した。享保4年(1719年)、拝殿を1回再建し、さらに安永2年(1773年)にも再建した。文化5年(1808年)には石祠(せきし)を建立した]と書いてある。そのため、「今の本蔵権現の方角は元あった場所を向いている」との伝承が残っている。現在でも野田町内で祭られている。
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『本蔵権現

本蔵権現の石祠(もとくら ごんげん の せきし) 所在地:大村市野田町
<概略説明> 本蔵権現の拝殿の奥側に文化5年(1808年)に建立の石祠(せきし)がある。その本体の大きさは高さ125cm、横幅112cm、奥行112cmである。碑文(原文)は縦書きの改行ありだが、横書きに直して改行なしで書くと、次の「」内通りである。「供養導師宝圓寺十世寛澄法師  奉寄進 文化五戊辰天十一月吉祥日  頭人 淵勘右衛門 山口吉左衛門 重右衛門 仙三良 八次良総氏子中」  この碑文の前半部分のみを現代語訳すると、次の<>通りである。<(本蔵大権現へ)奉って(たてまつって)(石祠を)寄進する。 供養導師は宝圓寺の第十代の寛澄法師である。(石祠の建立年月日は)文化五戊辰(つちのえたつ、ぼしん)年(1808)十一月吉祥日である。(後略)> 野田郷は福重村であるが、この碑文でも分かる通り当時(遠距離な)池田の宝圓寺とも関係があったと思われる。なお地面から石祠の最上部まで4m位あるので高く感じる。(掲載日:2018年9月7日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『本蔵権現の石祠

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元権現の石祠(もと ごんげん の せきし・いしほこら) 所在地:大村市草場町、松尾(まつのお)神社
<概略説明>  (松尾神社の)元権現の石祠(せきし)は大村市草場町にある松尾)神社(まつのお じんじゃ)境内の南東側にある。石祠の建立年は大正7(1918)年旧9月28日で、建立者は当時の草場郷(現在の草場町)の人たちである。基礎部分含めた全体の大きさは、高さ118cm、横幅68cm、奥行55cmである。 現在は社(やしろ)の中にあるが209年2月5日に社が完成する前までは長らく露天状態だった。境内には元権現と現在の松尾神社と二つのご神体があるが、このことの詳細は不明のようだ。(掲載日:2014年9月29日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『(松尾神社の)元権現の石祠

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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。

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