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大村辞典
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大村辞典

”り”の項目


”り”の項目
龍神島(りゅうじんじま)  所在地:大村市玖島1丁目
<概略説明> 龍神島は大村競艇の駐車場から東側へ橋で渡って約50m先にある島である。江戸時代の大村藩領絵図には「龍神堂」の名称で描かれている。島内全体が雑木林で島の周囲の一部を除き、ほぼ海岸線は岩場になっていて、さらに南東側周辺には瀬のようにして大きな石も海の中に点在している。あと、島のまわりは全体水深が浅いようで干潮時に橋のある側(大村競艇側)の一部では砂地も見える。島の中央部には龍神社(八大龍王)が祀られている。
(掲載日:2011年10月10日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『龍神島

龍福寺跡(竜福寺跡)(りゅうふくじあと、りふくじあと)  所在地:大村市立福寺町
<概略説明> 龍福寺(竜福寺)」の創建は正確には不明だが、平安時代の1343年と1459年の文書に存在が確認できる。戦国時代、キリシタンにより破壊、略奪、焼き打ちに遭ったため二度と再建されなかった。この寺院は町の名前・立福寺町の元となった寺院=龍福寺(竜福寺)である。また、この地名に由来して郷土芸能の『立福寺の龍踊』も出来たと伝承されている。
(掲載日:2011年3月19日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)龍福寺跡

立福寺の地蔵(りふくじ の じぞう)  所在地:大村市立福寺町
<概略説明> 立福寺の地蔵は元々、立福寺の若宮権現にあったが、現在は六社権現の境内にある。建立年について、土台石の碑文もなく、また江戸時代編纂の(大村)郷村記にも記述がないため不明である。あと(大村)郷村記の若宮権現の項目には地蔵が二体あるように書いてあり、現在あるのはそのどちらかは不明である。この地蔵本体の大きさは高さ52cm、横幅25cm、胴囲53cmである。スマートな造りで姿形が良い。(掲載日:2017年8月14日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)
立福寺の地蔵

立福寺の龍踊(りふくじ の じゃおどり)  所在地:大村市立福寺町
<概略説明> 立福寺の龍踊の由来は「立福寺町の地名(龍福寺)の元となった龍福寺に
ちなんで踊られた」との伝承がある。その起源を知る手がかりとして、立福寺公民館に保存されているドラ(銅鑼)がある。それには『安政六年七月吉日 今留村龍福寺』とあり、年号が分かる。これは江戸時代の安政6年(1859年)には当時の「今留村(今富村)龍福寺郷」で踊られていたことを示すものである。その後も戦前の福重村・戦後の福重地区での敬老会などで踊りは披露されてきた。しかし、諸事情もあり一時期中断されていたが、町民の努力によって2003年9月、立福寺公民館の庭や福重地区敬老会で復活し踊られた。現在も先の敬老会会や福重夏祭りなどで披露されている。
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)立福寺の龍踊

立福寺の馬頭観音(りふくじ の ばとうかんのん)  所在地:大村市立福寺町
<概略説明>立福寺の馬頭観音は大村市立福寺町、六社権現の境内にあり、その大きさは高さ57cm、横幅27cm、胴囲70cmである。建立年は明治17 (1884) 年11月19日で、建立者は当時の立福寺郷(町)であろう。土台石には碑文が彫ってあり、「明治十七年 馬頭観世音 申十一月十九日とある。これを(補足含めて)現代語訳すれば、「明治17 (1884) 年(サル年の)11月19日建立した」と解釈できる。本像の姿形は上下・左右のバランスが良くて大変スマートである。 細部を見ると頭髪部分が繊細であることを筆頭に全体ていねいに造られている。さらに小さな馬に乗った大きな神様3人が何かしらユーモラスでもある。
(掲載日:2014年7月21日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)立福寺の馬頭観音

立福寺の馬頭観音祭(りふくじ の ばとうかんのん さい)  所在地:大村市立福寺町
<概略説明> 立福寺の馬頭観音の建立年月日は(旧暦)明治17 (1884) 年11月19日である。この建立年を起点として、その後、当時の立福寺郷(現在の立福寺町)で祭られるようなったと思われる。 現在でも12月19日を中心に、学校や仕事の都合上、休みの日(土、日、祝日)に、この馬頭観音祭は開催されている。 馬頭観音祭の主な準備や内容について、祭り当日の朝から町内会役員や世話役を中心に立福寺の馬頭観音のある六社権現の境内周辺の草取り、溝さらえ、子ども相撲用の土俵造り、食事や餅まき用の餅・お菓子などの準備作業などがおこなわれる。そして、15時時頃から約1時間、町内会長の挨拶、子ども相撲、子ども用の食事、餅まきなどがおこなわれる。ほぼ町内60人前後の参加があり、賑やかである。六社権現での行事終了後、場所を立福寺公民館に移し、打ち上げ会(懇親会)があるようである。 (掲載日:2015年12月19日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)馬頭観音祭ページの立福寺の馬頭観音祭』、『立福寺の馬頭観音』、『六社権現

立福寺の薬師如来(りふくじ の やくしにょらい)  所在地:大村市立福寺町
<概略説明>立福寺の薬師如来について土台石の碑文には建立年月日として江戸時代の正徳6(1716)年5月8日、建立者は一瀬彦佐衛門の妹の妙相尼と彫ってある。本体のみの大きさは高さ39cm、横幅34cmである。現在、六社権現の境内にあるが、江戸時代に編さんされた(大村)郷村記によれば元あった場所は「鳥越」と書いてあり、現在の今富町にあった。推測ながら近代になり、現在地に遷座したものと思われる。なお、建立年について、土台石の碑文と(大村)郷村記の記述と2年の違いがある。 (掲載日:2017年8月3日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)立福寺の薬師如来

立福寺の若宮権現(りふくじ の わかみや ごんげん)  所在地:大村市立福寺町
<概略説明>立福寺の若宮権現の創建は江戸時代に編さんされた(大村)郷村記によれば寛文年中(1661〜 1673 年)である。現在地は六社権現の境内にある石祠である。ただし、元々あった(創建の)場所は大村藩領絵図の図示では現在の立福寺公民館や高速道路周辺である。推測ながら近代になってから現在地に遷座されたものと思われる。石祠の建立年月日は弘化3年(1846)丙午(ひのえうま、へいご)3月吉辰(きっしん、めでたい日)である。この石祠の脇には地蔵、薬師如来馬頭観音などの石仏もある。 (掲載日:2017年7月25日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)立福寺の若宮権現

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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。

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