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大村辞典
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大村辞典 ”こ”の項目

”こ”の項目
郡岳(こおりだけ)  標高:826m 所在地:大村市重井田町
<概略説明> 郡岳は山の形成からして多良岳山系になるが、この山だけ見るとまるで独立峰のようにも見える。(大村)郷村記によると大昔の名称として「太郎岳(たろうだけ)」とも呼ばれていた。古文書によれば奈良時代初期に僧の行基が、「太郎岳に三尊(阿弥陀、釈迦、観音)をまつり神社を建立した」と言われている。その後神社も移り、この山の名前も郡岳に変わったが、この「太郎岳」からその後神社もできたので多良岳の山の名前が出来たものと思われる。現在郡岳は登山が盛んな山で主に(ロザ・モタ広場方面からさらに先に行った)南登山口コースと(ゴルフ場入口方面よりさらに先に行った)西登山口コースがある。交通アクセスは大村駅前バスターミナルから長崎県営バスの野岳湖行きに乗車(約45分間)して最終の野岳湖バス停下車。(掲載日:2006年6月15日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)郡岳


郡岳の土砂崩れ(こおりだけ の どしゃくずれ)  所在地:大村市重井田町(郡岳の西側9〜6合目付近)
<概略説明> 
郡岳の土砂崩れ現場は大小含めればいくらでもある。ただし一番有名で郡地区の国道34号線周辺からでも良く見える大きな土砂崩れ現場は一か所で、それは郡岳の西側9〜6合目付近にある坊岩(ぼうにいわ)の東側約100m先にある。発生当時の規模は上下の長さ300m以上、横幅30m以上あった。この土砂崩れ発生年は記録がないので正確には不明である。しかし地域の古老の話では「昭和40(1965)年頃の土砂崩れが一番大きかった。その後、三日月型の禿げた部分が、ずっと見えていた」、「雪が降ったら、そこが真っ白に見えた」などと伝えられている。ただし規模の大小を問わず土砂崩れ発生は江戸時代以前の大昔も含め現在までも何十回も起こっている。土砂崩れ現場は一見何も変わっていないようにも思える山や自然の変化や植物の回復力などが良く分かる場所でもある。(掲載日:2014年9月14日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)郡岳の土砂崩れ

郡川(こおりがわ)  長さは15.9km、幅約65m  所在地:大村市内各地を流れている。
<概略説明>
郡川は長崎県で長さ第4位、大村市内では最長の川である。水源は長崎県央地域最高峰の経ヶ岳(1,076m)周辺にあり、そこから萱瀬地区、竹松地区、福重地区を流れ下り大村湾に注ぐ。支流も南川内川(みなみのかわちがわ、萱瀬地区)や佐奈河内川(さながわちがわがわ、福重地区)を始め小さな川も含めいくつかある。(掲載日:2006年10月10日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)郡川

郡川の飛び石(こおりがわのとびいし)  所在地:大村市沖田町と皆同町境界の郡川(福重橋下流約70m)
<概略説明>郡川(こおりがわ、長さは15.9km、幅65m)沖田町と皆同町に架かる福重橋下流約70mに飛び石があった。これは古代肥前国時代は古代の道(官道)として使われ、その後徐々に発展し、経済、流通が伸びた江戸時代には長崎と小倉間を結ぶ長崎街道として盛んに使われた。オランダ商館医シーボルトの著書『日本』に挿絵として郡川の飛び石の情景が描かれている。そして飛び石を渡る様子として「大きな玄武岩が河床に横に並べてあって、それを渡って人や荷馬が通っていく」と記述している。明治時代になり経済、交通はますます発展し橋の必要性が増し、木造の福重橋が1986(明治19)年に架けられたので飛び石から交通の主役は橋へと変わった。
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)郡川の渡し(飛び石)、『史跡説明板の旧・長崎街道(郡川の飛び石)

郡川のうなぎ塚(こおりがわのうなぎつか)  所在地:大村市寿古町と沖田町境界の郡川下流
<概略説明>郡川(こおりがわ、長さは15.9km、幅65m)の河口付近(寿古町と沖田町の境)で毎年おこなわれているのが、うなぎ塚とうなぎ漁である。うなぎ塚の数は約200個あり、毎年この塚の権利を得るため寿古町で8月に抽選会がおこなわれ、その権利は取得日から年内一杯である。石の塚は自分で築き、うまく漁ができた場合、天然うなぎが獲れる。(掲載日:2007年8月31日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)郡川のうなぎ塚、うなぎ漁

黄金山古墳(こがねやまこふん)  所在地:大村市今富町
<概略説明> この古墳の年代は古墳時代前期と思われ一説には4世紀末か5世紀頃のものと言われている。この古墳が発見された当時、土器とともに2体の人骨、鉄刀、鉄製矢じりなども出土したと伝えられている。棺を安置する石室は追葬を可能にする形式で、竪穴系横口式石室と呼ばれるものである。 (掲載日:2006年8月12日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)黄金山古墳

古松の馬頭観音(こまつ の ばとうかんのん)  所在地:大村市中里町
<概略説明> この馬頭観音のある場所は中里公民館から南東方向へ直線(目測)で100m弱、道路脇(民家の石垣の前)にある。元々、ここに移転するまで何回か設置場所が変わったとの地元伝承がある。土台の碑文によると建立年月日は寛延4 (1751) 辛未(かのと ひつじ)年11月17日と彫ってある。江戸時代の大村郷村記にも建立年のみだが同年が記述されて、その当時は古松権現内にあったと書いてある。本体の大きさ 高さ90cm、横幅48cm、胴囲67cmである。基本形は三面六臂(さんめんろっぴ)の立像で、 これだけ高さのある立像は大村市内では珍しい。全体スマートでバランスが良く、蓮華座が大きく安定感がある。 (掲載日:2017年1月16日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)
古松の馬頭観音

権田の馬頭観音(ごんだのばとうかんのん)  所在地:大村市田下町
<概略説明> 権田の馬頭観音は田下町、氷川神社の本殿南側にある。建立年は明治25(1892)年旧11月19日で、建立者は(萱瀬村)権田(郷)の馬(所有者の)仲間内である。本体の大きさは高さ72cm、横幅38cm、胴囲86cmである。蓮華座下部に先の建立年や建立者名などが彫ってある。像の基本的な造りは三面六臂でレリーフ面の高さは低いが、像の姿が分かりやすい。(掲載日:2015年11月2日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)
権田の馬頭観音』にで建立した

--準備中--

ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。

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