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大村辞典
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小川内の馬頭観音(くさば の ばとうかんのん) 所在地:大村市小川内町
<概略説明>小川内町を南北に通る市道の横(東側)にある。建立年月日と建立者は土台石の碑文によると大正7(1918)年旧3月19日に小川内(郷)で建設(建立)している。本像の大きさは高さ56cm、横幅24cm、胴囲68cmである。像の 基本形は三面六臂(さんめんろっぴ)の立像で、上下左右の均整がとれたものである。保存状態も良い。
(掲載日:2015年9月19日
<関連詳細ページ>・福重ホームページの小川内の馬頭観音

沖田条理遺構(おきたじょうりいこう) 所在地:長崎県大村市沖田町
<概略説明>大村市沖田町、郡川左岸一帯の田んぼ(現在、一部畑も含む)のことを言う。 ここで見られる碁盤の目のような区割りは、近代にトラクターなどが入るために圃場整備(基盤整備)されたものではなく、約1300年前から延々と続く条理制の田んぼである。地名(小字)にも蔵ノ町・徳町(沖田)・深町・高原町(黒丸町)・盛田・黒田・浜田・九の坪と条里制関連の地名が並んでいる。
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの
沖田条里遺構

沖田の祇園牛頭天王(おきたのぎおんごずてんのう) 所在地:長崎県大村市沖田町
<概略説明> 大村市沖田町の金屋にあり、現在地は郡川及び福重橋(通称:郡橋)の近くである。江戸時代の(大村)郷村記に京都の妙伝寺が願主となって、慶安元年(1648年) 創建されたとある。その当時の場所は国道34号線より上付近で奥行32m、横幅61mの境内があった。また、ご神体は木の座像で、彩色されているとも書いてある。今は規模を縮小して移し、現在地にある。なお、牛頭天王とはインドでは祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)の守護神であり、悪疫を防ぐ神として日本では京都祇園の八坂神社などにも祭られている。そのことから昭和初期に郡地区で赤痢が流行した際に、早く鎮まるように祈願したと言う。 昔は長崎街道近くでもあり、往来の多くの人も参詣されたと思われる。今は沖田町の人々が「祇園さん」と親しみを込めて呼ばれ、毎年例祭をしている。
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの(福重の名所旧跡や地形の)沖田の祇園牛頭天王』、(大村の史跡説明板・案内板シリーズの)(沖田の)祇園牛頭天王

沖田の鹿大明神(おきたのしかだいみょうじん) 所在地:長崎県大村市沖田町
<概略説明>大村市沖田町の下沖田にあり、集会場の中でまつられている。この鹿大明神は、その名の通り鹿にまつわる由緒がある。この件について大村郷村記に書いてある内容と現状の違い、あるいは様々な説や伝承がある。詳細は、下記から参照願いたい。
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの沖田の鹿大明神

 (準備中)

尾崎城(おさきじょう) 所在地:長崎県大村市今富町
<概略説明>今富町にかつてあった尾崎城は、郡川(こおりがわ)の支流である佐奈河内川(さながわちがわ)の横、今富町公民館の上側方向の丘の上にあった。(ただし、現在は畑になっている)城の本丸は約466平方メートル(=約141坪)、二の郭(くるわ=城のかこい)の長さは約25m・横約13m、三の郭の長さは約72m・横約90m、北東の堀切の長さは約54m・横約5m半、城の正面は南の方へ向いていた。(掲載日:2007年9月13日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)尾崎城

御手水の滝(おちょうずのたき)(通称)裏見の滝(うらみのたき) 所在地:大村市重井田町 滝の落差:約30m
<概略説明>滝だけではなく、春の新緑、シャクナゲの花、秋の紅葉などで1年中、楽しめ、また、巨岩や奇石も見ものである。
古記録によると、この水を汲んで当時の草場郷(現在の草場町)にある”酒の神様”『松ノ尾(まつのお)神社』に奉納され酒が造られていた。江戸時代の(大村)郷村記によると「裏より見る故、世俗”うら見の瀧”とも云う」と記されている。また、別の古記録には別名「みたらしの滝」とも言うと書かれてある。いずれにしても昔から現在まで、この滝の正式名称は御手水の滝(おちょうずのたき)に変わりはない。(掲載日:2006年8月4日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)御手水の滝


御手水の滝の経筒(おちょうずのたき きょうづつ、別名「裏見の滝の経筒」) 所在地:大村市立福寺町<御手水の滝(裏見の滝)から西へ約30m登った所>
<概略説明> (滝の場所は重井田町であるが)この経筒が発見された所は滝口から登った立福寺町側の参道(登山道)脇からである。現在、近くに御手水の滝の経筒発見記念碑がある。滑石製で推定ながら西彼杵産ではないかと思われる。制作は平安末期か鎌倉時代のものかと思われるが、正確には不明である。大きさは筒本体で高さ29.5cm 直径33.5cm、蓋の直径:30cm 厚さ(高さ)5cmである。(掲載日:2016年11月12日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)御手水の滝の経筒』、『御手水の滝の経筒発見記念碑』、『御手水の滝』、

--準備中--
御手水の滝の経筒発見記念碑(おちょうずのたき きょうづつ はっけん きねんひ) 所在地:大村市立福寺町<御手水の滝(裏見の滝)から西へ約30m登った所>から発見され、現在は大村市立史料館に所蔵されている
<概略説明> (滝の場所は重井田町であるが)この記念碑のある所は滝口から登った立福寺町側の参道(登山道)脇にある。経筒発見者が建立された記念碑の碑文を口語訳すると、「昭和10(1935)年旧正月の元日、観音菩薩の神通力により7回お告げ(夢枕に立たれた)を感じて、この現場を試しに一尺五寸(約45 cm)掘ったところ石の蓋(ふた)が出てきた。(さらに掘ると)その下に石壺(経筒)を発見した」と言うことである。この記念碑の正式名称はないが、表題の通りの意味である。
(掲載日:2012年12月24日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)御手水の滝の経筒発見記念碑

尾上城(おのうえじょう)(別名:中構城・峰城) 所在地:大村市田下町(現在の氷川神社周辺)
<概略説明>
尾上城は別名で中構城(なかかまえじょう)・峰城(みねじょう)とも呼ばれているが、尾上城と中構城の城名は字(あざ)から由来している。峰城は後世に峰氏が居城したからである。この城址は旧・萱瀬村(現在の萱瀬地区)の中心地に位置する。推測ながら敷地規模は南北約125m、東西約130mであった。尾上城は江戸時代後期に完成した(大村)郷村記には記述されているが、それよりも相当速く完成した大村藩領絵図には描かれていない。戦国時代から存在していたとしても近世の城のイメージとは違う、普通の民家よりも敷地も規模も広くて大きい武家屋敷と思われる。その相当部分が江戸時代になって整備・拡張されたものと推測される。城址(現在の氷川神社)後方は天然の要害でもある郡川があり、前方には高い石垣の存在が特徴である。明治時代の道路開通まで(現在の萱瀬出張所近くに)楼門・枡形があったが工事で破壊されてしまった。(掲載日:2013年2月20日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)尾上城


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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。

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