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2024年、(大村市立)郡中学校1年生、総合的な学習、校外学習「郡地区の史跡」巡り(概要紹介)
郡中学校1年生、校外学習、出発前ミーティング
 
 郡川の飛び石の史跡説明板の周辺を歩く (最奥の左側の山は郡岳)

(大村市立)郡中学校1年生、校外学習「郡地区の史跡」巡り(概要報告)
 
( 福重端の記念碑(沖田町、郡川の左岸にある)
郡川の飛び石」の史跡説明板 (奥側は郡川)
好武城跡 (寿古町) 
好武城跡にて
今富城跡 (皆同町)
 皆同砲台跡の前にて
 皆同砲台跡(皆同町)
 今富町、大神宮の境内にて
 
大神宮の境内にて山下氏の説明を聞く 
 (写真) 招魂碑(左側)、今富町
 (写真) 福重砲台跡(地下室への入口)、今富町 
 
 佐奈河内川に架かる臨時の第二矢次橋にて
(写真) 福重飛行場跡(右側)、今富町 
(写真) 福重飛行場跡近くにある誘導路橋の基礎部(今富町)
(写真) 福重飛行場(当時:長さ950m、幅30m)

日時:2024年9月11日08時50分~11時50分
参加数:全体で約230名(生徒218名、先生11名)
場所:大村市、福重地区の各史跡
見学テーマ:「大村・郡地区の歴史
案内役:山下氏(大村市文化振興課・学芸員)上野

 注1:今回の校外学習の二つのコースは、「時計回り」(学校、沖田町ー寿古町ー皆同町ー今富町ー竹松本町ー学校)で歩くグループと、「逆時計回り」(学校ー竹松本町ー今富町ー皆同町ー寿古町ー沖田町、学校)であった。

 注3:今回のコース周辺には、今回のテーマとは関係のない多数の史跡もある。また、「2020年、大村水害」も多くあった。一部ながら、その関係リンク先も掲載している。あくまでも、ご参考程度に閲覧願いたい。

 注4:このページ写真は、順不同であり、上からの順番に特に意味はない。

2024年の関係ページ
 「2024年8月26日、郡中学校の先生の史跡巡り(下見)」 「2024年8月28日、ガイダンス」 「2024年9月4日、郡地区の歴史の講話(概要報告)

2023年の関係ページ
 「2023年10月19日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)」  「2023年10月24日、ガイダンス」  「2023年10月30日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2023年11月1日、校外学習・戦争遺跡巡り

概要:2024年、郡中学校の総合的な学習関係のとりくみとして、既に「2024年8月26日、郡中学校の先生の史跡巡り(下見)」 「2024年8月28日、ガイダンス」 「2024年9月4日、郡地区の歴史の講話(概要報告)」が実施された。それらは、今回9月11日に実施された校外学習としての福重地区の史跡巡りの事前学習の意味もあった。

 そして、今回の校外学習は、いわば本番の総合学習としての実地(史跡)見学といえる。

<史跡見学場所>
 先の注2の通り、「時計回り」 「逆時計回り」の違いはあるが、歩く道路も見学する場所も同じなので、下記の主な史跡名は「時計回り」順で書いている。史跡の詳細を知りたい方は、各史跡リンク先から確認して頂きたい。

 1) 福重端の記念碑(沖田町、郡川の左岸にある。写真1を参照)

  2)郡川の飛び石(沖田町~寿古町、郡川の右岸にある。写真2を参照)

 3) 好武城(寿古町) この史跡についてはリンク先の好武城から参照。

 4) 皆同砲台跡と、 5) 今富城跡(皆同町、福重地区住民センターの裏山)は、小高い丘の全体は、今富城跡である。その内の北側部分で南北(横幅)約160m、東西(縦)約70mにあった。<(写真を参照) 注:当時の砲台の地上部分と地下にある弾薬庫(砲弾庫)や倉庫が、そのまま現存している。

 6) 大神の境内にある招魂碑(戦死した軍人、空襲で亡くなった民間人の慰霊碑である)(今富町、大神宮の境内にある) <(写真6)を参照> その手前側が顕彰碑で、これにアメリカ軍の戦闘機の機銃で射殺された福重小学校の児童、空襲時の防空壕の落盤事故で亡くなった母子3名含めての名前もある。 (なお、この大神宮の境内には戦争遺跡とは関係ないが「石割樫(いしわりがし)」や「亀石(かめいし)」もある)

 7)福重砲台跡(今富町の帯取の丘) 当時、直径約200mの範囲内に高射砲の陣地があったという。<(写真)を参照> (この周辺でアメリカ軍の激しい空襲で軍人多数と福重小学校の児童も亡くなっている)

 8) 福重飛行場跡は、現在の今富町や皆同町にある細長い農道、耕作地や住宅地<(写真)を参照) (注:当時の滑走路の大きさは長さ950m、幅30mの薄いコンクリートだった。現在はその内、長さ約890m、幅約2.5mの一直線の農道がある)

 9)誘導路橋の基礎(丸太の柱穴の残るコンクリート(<今富町、佐奈河内川(さながわちがわ)の川床。写真8を参照>今でも頑丈に残っている。大きさは長さ約30m、幅約1m。 注:この周辺は「2020年7月6日、大村水害」で大きな被害があり、現在、川の拡幅や矢次2号橋の架けかけ工事中である。

 以上が、「時計回り」主な史跡巡りの見学場所であった。このコース順で見学が終了したならば、後の道は郡川(こおりがわ)に架かる矢次橋を渡ると竹松本町に入った。そして、この町内に近年できた新しい道路の歩道を歩くと、新幹線のトンネル下に入り、次に国道34号線の歩道に出ると、郡中学校の入口となった。

 なお、もう一つの「逆時計回り」コースは、上記の番号順の逆から歩いていく順路である。そのため、史跡の名称やリンク先は、先の番号と重複するので、このページでは省略する。

質疑応答Q&A
 上記の史跡巡りの上野担当の時にも質疑応答をもあった。しかし、上野が全部を覚えきれていないので、下記のQ&Aは、ほんの一部のみである。

 Q1:長崎街道は?
 A2:極簡単にいうと江戸時代に発達した今でいう国道みたいなものだ。長崎から福岡の小倉までを言い。約220キロメートルあった。郡川は、江戸時代まで飛び石だった。

 Q2:好武城は、いつ頃できたのか?
 A2:好武城は、戦国時代にできたまでは言える。ただし、何年と誰が築城したかについては、従来から様々な説もあり、正しく言えば不明といえる。

 Q3:今富城については?
 A3今富城は、戦国時代にできて、後で大村純忠もいたという。ただし、この城も何年に誰が築城したかは、従来説は様々あるが、これも正確に言えば不明といわざるを得ない。

 (これ以降のQ&A部分は作成準備中。 しばらく、お待ち下さい)

 Q4:
 A4

 Q5:
 A5

 Q6:
 A6





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 体育館で終了ミーティングがおこなわれた。生徒代表から丁寧なお礼の挨拶が山下さんと上野にあった。

 今回の校外学習(史跡巡り)に参加された全員の皆様、お疲れ様でした。
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 下記の「関係ページ」は、上記のような今回巡った史跡と、それ以外の史跡でもある。このコースを歩き、見学していけば必ず近くにある古代~近代までの史跡もあるので、ご参考程度に、その極一例をご覧頂きたい。

*関係ページ
 ・沖田町---<福重橋の記念碑
 ・皆同町---<郡川の飛び石> <今富城跡> <皆同の侍の墓
 ・寿古町---<好武城
 ・今富町---<大神宮> <石割樫(いしわりがし)> <亀石(かめいし)> <尾崎城跡(おさきじょうあと)

 なお、このコース周辺は、2020年7月6日に発生した「大村水害の被害場所でもある。ずっと、復旧工事中ではあるが、まだ、佐奈河内川(さながわちがわ)の今富橋周辺の田畑は、水害のままの状態も一部ある。



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2023年の関係ページ
 「2023年10月19日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)」  「2023年10月24日、ガイダンス」  「2023年10月30日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2023年11月1日、校外学習・戦争遺跡巡り

2022年の関係ページ
 「2022年9月29日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)」  「2022年10月19日、ガイダンス」  「2022年10月25日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2022年10月26日、校外学習・戦争遺跡巡り

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2021年の関係ページ
(1)2021年8月24日、2先生の空襲・戦争遺跡巡り
(2)2021年10月6日、1年生、総合的学習・ガイダンス
(3)2021年10月7日、「郡地区の空襲と戦争遺跡」講話
(4)2021年10月7日、8日、先生の「戦争遺跡」下見
(5)2021年10月14日、1年生の校外学習
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初回掲載日:2024年9月12日、第二次掲載碑: 月 日

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