大村辞典 | ”は”の項目 |
”は”の項目 |
白水寺跡(はくすいじあと) 所在地:大村市皆同町 |
M口クイ氏 頌徳碑(はまぐち くい し しょうとく ひ) 所在地:大村市松原本町5番地1、松原小学校 この碑の建立年月は昭和41年(1966)3月で、建立者は「松原小学校 育友会」(松原地区の住民)である。建立目的は濱口クイ氏が松原小学校はじめ松原地区内外で、多数かつ多額の寄付をされ大変な功績があることに対して、同地区住民が同氏に感謝と顕彰の意を込めて造られた。その中でも特に、松原小学校の創立90周年や1964年の東京オリンピックを記念して同校の水泳プール寄贈を独力でされたことである。また、同校の校舎前にある「二宮金次郎像」は濱口彦作氏の遺志により夫人の濱口クイ氏が建立されたことも同像の碑文に彫ってある。この頌徳碑で注目すべきは同氏の肖像(顔)銅板プレートが設置されていることである。このような例は大村市内の顕彰記念碑の中では少ない方で、いかに松原小学校や松原地区の住民から慕われ尊敬されていたかが分かるものである。(掲載日:2020年2月29日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの『M口クイ氏 頌徳碑(はまぐち くい し しょうとく ひ)』 「松原小学校の二宮金次郎」 |
浜田彪(はまだ ひょう) 出身地:旧・福重村野田郷(現・大村市野田町) <概略説明> 浜田彪は1870(明治3)年11月19日、当時の長崎県東彼杵郡福重村野田郷(現在の大村市野田町)で一瀬信造の次男(一瀬彪)として生まれた。大村中学校、蔵前工業高等学校(東京高等工業学校、後の東京工業大学)卒業後、1891(明治24)年3月に長崎三菱造船所に入社、その後、浜田と改姓。三菱造船所では優秀な設計技師、第6代所長及び会長職を歴任した。同時に長崎県立図書館、学生や地域などに多大な貢献をした。例えば県立長崎図書館(1912年)設立時の史料収集用の資金援助、1929(昭和4)年、福重村の若い学生のための育英資金1万円の寄付、出身地の野田郷へは1930(昭和5)年「野田農事改良実行組合」設立援助の750円、さらに1933(昭和8)年には野田郷青年団へ100円を寄付、さらに東京では大村出身者の学生への援助、後で大村市長になった松本寅一へはアメリカ留学費用の援助など多額の寄付や援助をした。1938(昭和13)年11月7日死去、享年69歳。(掲載日:2018年9月30日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『福重(野田郷)生まれの浜田彪さんについて』 |
原の馬頭観音(はらのばとうかんのん) 所在地:大村市原町 |
半胴口の滝(はんどうぐちのたき) 所在地:大村市武留路町(鳴滝の上流部) |
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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。 |
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