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大村辞典
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白水寺跡(はくすいじあと) 所在地:大村市皆同町
<概略説明> (『大村市の文化財』を
参照すると)白水寺の創立時期は不明ながら郡七山十坊の一つである。江戸時代の古記録(大村)郷村記によれば「平安時代後期に寺院名があり、寺領の石高は10石8斗あまり」となっている。境内は天文20年(1551)に亡くなった大村純前(すみあき)の墓所であった。ところが、他の墓とともに天正2年(1574)キリシタンによって寺院は破壊され、大村家の墓はあばかれ遺骨は郡川に流されたという。 江戸時代になり、正保4年(1647)家老大村彦右衛門がその跡に1間(1.8m)四方の堂を建て、千手観世音を祭り、観世音菩薩と崇め、享保18年(1 733)に再建された。文政11年(1828)大風で堂が倒れたので、 翌年、石祠が建てられた。この周辺には姫墓などもある。 (掲載日:2013年4月27日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『白水寺跡

M口クイ氏 頌徳碑(はまぐち くい し しょうとく ひ) 所在地:大村市松原本町5番地1、松原小学校
 この碑の建立年月は昭和41年(1966)3月で、建立者は「松原小学校 育友会」(松原地区の住民)である。建立目的は濱口クイ氏が松原小学校はじめ松原地区内外で、多数かつ多額の寄付をされ大変な功績があることに対して、同地区住民が同氏に感謝と顕彰の意を込めて造られた。その中でも特に、松原小学校の創立90周年や1964年の東京オリンピックを記念して同校の水泳プール寄贈を独力でされたことである。また、同校の校舎前にある「二宮金次郎像」は濱口彦作氏の遺志により夫人の濱口クイ氏が建立されたことも同像の碑文に彫ってある。この頌徳碑で注目すべきは同氏の肖像(顔)銅板プレートが設置されていることである。このような例は大村市内の顕彰記念碑の中では少ない方で、いかに松原小学校や松原地区の住民から慕われ尊敬されていたかが分かるものである。(掲載日:2020年2月29日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの『M口クイ氏 頌徳碑(はまぐち くい し しょうとく ひ)』 「松原小学校の二宮金次郎

浜田彪(はまだ ひょう) 出身地:旧・福重村野田郷(現・大村市野田町)
<概略説明> 浜田彪は1870(明治3)年11月19日、当時の長崎県東彼杵郡福重村野田郷(現在の大村市野田町)で一瀬信造の次男(一瀬彪)として生まれた。大村中学校、蔵前工業高等学校(東京高等工業学校、後の東京工業大学)卒業後、1891(明治24)年3月に長崎三菱造船所に入社、その後、浜田と改姓。三菱造船所では優秀な設計技師、第6代所長及び会長職を歴任した。同時に長崎県立図書館、学生や地域などに多大な貢献をした。例えば県立長崎図書館(1912年)設立時の史料収集用の資金援助、1929(昭和4)年、福重村の若い学生のための育英資金1万円の寄付、出身地の野田郷へは1930(昭和5)年「野田農事改良実行組合」設立援助の750円、さらに1933(昭和8)年には野田郷青年団へ100円を寄付、さらに東京では大村出身者の学生への援助、後で大村市長になった松本寅一へはアメリカ留学費用の援助など多額の寄付や援助をした。1938(昭和13)年11月7日死去、享年69歳。(掲載日:2018年9月30日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『福重(野田郷)生まれの浜田彪さんについて

原の馬頭観音(はらのばとうかんのん) 所在地:大村市原町
<概略説明> 原の馬頭観音は原町にある熊野神社の境内にある。建立は明治21(1888)年、旧10月19日である。本体の大きさは高さ67cm、横幅32cm、胴囲80cmで、土台の大きさは高さ30cm、横幅46cm、周囲180cmである。像の基本形は三面六臂で、特徴点として蓮華座が、やや
突き出 た感じにも見える。土台にある碑文には (正面) 「明治二十一年 馬頭 旧十月十九日 」、 (土台の左側面側)「原郷中」 とある。これを現代語訳して続けて読めば、「馬頭観音を明治21(1888)年、旧歴10月19日に原郷(全体)で建立した」と解釈できる。保存状態は良い。(掲載日:2016年11月2日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『原の馬頭観音

半胴口の滝(はんどうぐちのたき) 所在地:大村市武留路町(鳴滝の上流部)
<概略説明>
 この滝は大村郷村記の鳴滝の項目で「(前略) 此瀧の上に四尺方程の水瓶に似たる穴あり、是を半胴口と云、此穴より水落る也 」(現代語訳:「(前略) この滝(鳴滝)の上に120cmほどの水がめに似た穴がある。これを半胴口(はんどうぐち)と言い、この穴より水が落ちている」)と記述されている。滝名の「半胴(はんどう)」とは素焼き製で水がめなどに用いられている半胴甕(はんどうがめ)が由来と思われる。半胴口の滝は岩場(崖)の中央部にあり、落水口(穴)の大きさは直径1m強で黒く見えている。高さは川面から約4m50cmである。この清らかな滝水は武留路山などに降った雨水の伏流水と推測されるが、名称の由来通り常時豊富な水量が噴き出している。(掲載日:2017年2月20日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『鳴滝』ページの「半胴口の滝

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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。

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