大村辞典 | ”ほ”の項目 |
”ほ”の項目
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坊岩(ぼうのいわ) 所在地:大村市重井田町 郡岳(826m)の八合目付近にある大きな岩 <概略説明> 郡岳は奈良時代初期前後は「太郎岳」と呼ばれていた。この山には三尊を祀る太郎岳大権現があった。また、郡岳中腹にはこの神社の本坊があった。この岩の名前の由来も、この史実から付けらている。このことは(大村)郷村記に書かれている。(掲載日:2007年3月20日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)坊岩(ぼうのいわ)』 |
法養の碑(ほうようのひ) 所在地:大村市黒丸町 |
宝満城(ほうまんじょう) 所在地:大村市中岳町 宝満岳(388m)頂上 <概略説明> 宝満城は宝満岳の頂上部にある。この山は大村市萱瀬出張所や国道444号線沿いから遠望すると円錐形の山容をしているため、どこからでも良く視認できる。宝満城についての史料(資料)関係は江戸時代に描かれた大村藩領絵図に城の名前があり、さらに(大村)郷村記にも、「ほふまんの古城」(宝満城)と記述されている。ただし、この城についての基本資料(史料)が先の二つ以外にないため詳細に分かっていない城の一つでもある。鳥甲城との関係で築かれた城との説もあるが、この点は真偽の問題があると思われる。(掲載日:2013年6月6日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)宝満城』 |
堀池の馬頭観音(ほりいけ の ばとうかん) 所在地:大村市黒丸町、釈迦堂敷地内(玄関の左側) <概略説明> この馬頭観音下部の土台に次の「」内の碑文が彫ってある。「大正二年旧一月建之 馬頭観世音 堀池 津田木郷」」<現代語訳:馬頭観音を大正2(1913)年、旧暦の1月に堀池と津田木郷(の者)で之(これ)を建てた> 本像の基本形は三面六臂(さんろっぴ)で保存状態が良い。本体の大きさは高さ67cm、横幅32cm、胴囲80cmである。毎年4月の釈迦堂で花祭りがある時に地元の方によって一緒に祀られている。この馬頭観音は市道脇から直ぐ入った所にあり、誰でも見学ができる。 (掲載日:2018年8月17日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『堀池の馬頭観音』 |
本城水神(ほんじょう すいじん)、所在地:(大村市寿古町 <概略説明> この水神は本城堰(本庄堰)や本城井手(用水路)の守り神である。この場所は郡川 の寿古町側にある本城堰(ほんじょう せき) の取水口から堤防(道路)や畑を挟んで北北西側に約115m行った所にある。また、ここには水神本体以外にも北側へ倉庫などがある。この水神本体の表と裏面に彫ってある碑文を口語訳すると次の「」内通りである。「昭和35(1960)年8月に建立した。総耕作地(田畑)の面積は15ヘクタールである。その(耕作者=用水路の受益者の)総人員は44名である」 なお水神本体の自然石の大きさは、高さ68cm 、横幅45cm 、胴囲1m30cm である。(掲載日:2022年1月8日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『本城水神』 『本庄渕(本城渕)』 |
本庄渕(本城渕)(ほんじょうぶち)、本城堰(本庄堰) 所在地:(大村市寿古町)郡川の中 <概略説明> 本庄渕(本城渕)、本城堰(本庄堰)は郡川にある農業用水を取水するための堰(せき)と渕のことである。郡川の河口から上流側へ約1kmの所にある。現在は可動堰で堰の高さ0.87m×長さ29.00m×2門(合計58m)である。渕の満水状態で上流から井堰までの長さは200m近くある。名称の由来は堰の近く(西側)にあったと推定されている古代肥前国の役所=彼杵郡家(そのぎぐうけ)、その後の荘園の役所を意味する「本庄」、または戦国時代に好武城が築かれたので漢字や発音が「本城」に変わったと言われている。ここから見える大村の山並みや周辺の景色は一幅の絵のような素晴らしい所である。 (掲載日:2013年6月11日、第二次改訂日:2021年8月19日) <関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)本庄渕(本城渕)』 |
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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。 |
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