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大村辞典
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餅まき(もちまき) 
<概略明> 餅まき(もちまき)または餅投げ(もちなげ)は上棟式などの神事に際して集まった人々へ餅をまく行事である。正式には散餅の儀、散餅銭の儀という。<出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説より>この辞典通り大村市内でも全国でも同じように行われている。しかし、大村では新築(民家)での棟上げ式(上棟式)での餅まきは、ひと昔ほど多くは見れれなくなった。ただ、例えば何かの祭り(イベント)では現在でも見られる場合もある。この餅まきは餅だけではなく菓子類、小銭(縁起上から五円、五十円、五百円玉)なども投げる例もある。なお、この餅まきは餅を投げる主催者側も餅を拾う参加者側も実に楽しい行事である。(掲載日:2022年4月2日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)「大村歳時記シリーズ」の『餅まき

本倉上堤(もとくら かみつつみ) 所在地:大村市野田町
<概略説明>  (大村)郷村記での名称は本倉上堤であるが、場所の呼び方で他に「本蔵」「元倉」もある。築堤(築造)は延宝7年(1679年)で、この年から本蔵地域の新田開発が始まった。この築堤や新田開発の費用を出したのは三代目・深澤義太夫である。この本倉上堤の広さは目算ながら南北約20m、東西約25mで、満水時の深さは3m強である。先の郷村記によれば、このため池から水を供給している耕作地(面積)は約4788平方メートルである。なお、この堤の北西部の脇には「野田の六地蔵」もある。(掲載日:2019年3月29日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『本倉上堤

本倉下堤(もとくら しもつつみ) 所在地:大村市野田町
<概略説明>  (大村)郷村記での名称は本倉下堤であるが、場所の呼び方で他に「本蔵」「元倉」もある。築堤(築造)の詳細は不明ながら、この堤の上部方向にある本倉上堤が延宝7年(1679年)と言われているので、ほぼ同時期に造られた溜池と推定される。この築堤や新田開発の費用も本倉上堤と同じく三代目・深澤義太夫と思われる。この本倉下堤の広さは目算ながら南北約6m、東西約22mで、満水時の深さは約2mである。先の郷村記によれば、この溜池から水を供給している耕作地(面積)は約792平方メートルである。なお、この堤の南東部方向には「本蔵権現」もある。(掲載日:2019年12月21日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『本倉下堤

本蔵権現(もとくら ごんげん) 所在地:大村市野田町
<概略説明>  (大村)郷村記での名称は本蔵権現であるが、場所は字(あざ)の本倉(もとくら)あるので「本倉権現」との名称使用もある。創建は不明だが(大村)郷村記によれば「本蔵権現は元々、(現在、立福寺町側にある)佐奈河内(さながわち)にあった。野田にとって不便なため万治元年(1658年)9月この地に移した。享保4年(1719年)、拝殿を1回再建し、さらに安永2年(1773年)にも再建した。文化5年(1808年)には石祠(せきし)を建立した]と書いてある。そのため、「今の本蔵権現の方角は元あった場所を向いている」との伝承が残っている。現在でも野田町内で祭られている。
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『本蔵権現

本蔵権現の石祠(もとくら ごんげん の せきし) 所在地:大村市野田町
<概略説明> 本蔵権現の拝殿の奥側に文化5年(1808年)に建立の石祠(せきし)がある。その本体の大きさは高さ125cm、横幅112cm、奥行112cmである。碑文(原文)は縦書きの改行ありだが、横書きに直して改行なしで書くと、次の「」内通りである。「供養導師宝圓寺十世寛澄法師  奉寄進 文化五戊辰天十一月吉祥日  頭人 淵勘右衛門 山口吉左衛門 重右衛門 仙三良 八次良総氏子中」  この碑文の前半部分のみを現代語訳すると、次の<>通りである。<(本蔵大権現へ)奉って(たてまつって)(石祠を)寄進する。 供養導師は宝圓寺の第十代の寛澄法師である。(石祠の建立年月日は)文化五戊辰(つちのえたつ、ぼしん)年(1808)十一月吉祥日である。(後略)> 野田郷は福重村であるが、この碑文でも分かる通り当時(遠距離な)池田の宝圓寺とも関係があったと思われる。なお地面から石祠の最上部まで4m位あるので高く感じる。(掲載日:2018年9月7日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『本蔵権現の石祠

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元権現の石祠(もと ごんげん の せきし・いしほこら) 所在地:大村市草場町、松尾(まつのお)神社
<概略説明>  (松尾神社の)元権現の石祠(せきし)は大村市草場町にある松尾)神社(まつのお じんじゃ)境内の南東側にある。石祠の建立年は大正7(1918)年旧9月28日で、建立者は当時の草場郷(現在の草場町)の人たちである。基礎部分含めた全体の大きさは、高さ118cm、横幅68cm、奥行55cmである。 現在は社(やしろ)の中にあるが209年2月5日に社が完成する前までは長らく露天状態だった。境内には元権現と現在の松尾神社と二つのご神体があるが、このことの詳細は不明のようだ。(掲載日:2014年9月29日)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)『(松尾神社の)元権現の石祠

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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。

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