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大村辞典
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そうけ島(そうけじま)  所在地:大村市(長崎空港ができる前まで大村湾にあった島)
<概略説明> そうけ島は長崎空港建設前まで大村湾内の箕島近くで赤島がろう島とともにして存在していた。江戸時代編さんの(大村)郷村記によれば(その現代語訳で)「(島の周囲は) 約230m。島の全域が林である。その山の広さは496平方メートルで、この林の女竹は矢柄(やがら)に用いられた。(島の)頂上に古い松が一本(一株)ある」と記述されている。当時から無人島で矢柄(弓矢の幹)の材料にもなるような良質な竹がとれていたようだ。島名の由来について「そうけ」(方言?)と呼ばれている台所用品あるいは農具として使われる竹カゴ・竹ザルがある。これは竹で頑丈に編んであって、作り手や使用目的で少し違いもあるが「半丸(半球)形状の竹カゴ・竹ザル」
である。この「そうけ」に島の形状が似ていたので島名となったと推測される。そうけ島は長崎空港建設工事の時になくなった。(掲載日:2015年11月19日)
<関連詳細ページ>そうけ島
この島名の由来ですが、しています

彼杵郡家(彼杵郡衙)(そのぎぐうけ、そのぎぐんが)  所在地:大村市寿古
<概略説明> この彼杵郡家には、その所在地含めて様々な説があり、いずれも確定的ではない。その中の一つの説として、寿古町の字「好武(よしたけ)」周辺にあったのではないかと言われている。彼杵郡家(彼杵郡衙)とは古代肥前国・彼杵郡の郡役所(現代風に言えば「長崎県央地域の県庁みたいな役所」)のことである。寿古遺跡からは須恵器など古代の遺物や戦国時代以前の輸入陶磁器が大量に出土した。これらのことについて『黒丸遺跡ほか発掘調査概報Vol.5 (大村市教育委員会2005年3月発行)』には「(前略) 須恵器、輸入陶磁器、石鍋など古代〜中世前期の遺物が、これほど多量に出土する遺跡は大村市内にはない。 好武城及び寿古遺跡の状況はきわめて特殊であり、当該期における遺跡の性格は、自ずと当地域 における特殊な場として考える必要がある。 (後略)」と書いてある。また、この「好武」の横を流れる郡川に「ほんじょうぶち」(本庄渕、本城渕)という名の堰(せき)がある。この名前の「本庄」
は郡役所(もしくは庄園管理事務所)が近くにあった由来から呼ばれてきたと思われる。 (詳細は、下記から参照)
<関連詳細ページ>・『(福重ホームページの)彼杵郡家(そのぎぐうけ)、寿古町は古代・肥前国時代には郡役所(長崎県央地域の県庁みたいな役所)だった』 、 『彼杵郡家(彼杵郡衙)の「竹松(遺跡)中心説」に疑問あり

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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。

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