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大村辞典
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大村辞典 あ”の項目

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青椎滝(あおじい たき、正式名称がないため仮称である) 所在地:大村市中岳町
<概略説明> 青椎滝は郡川(こおりがわ)の支流の一つで地元・久良原(きゅうらばる)の方が通称で青椎川(あおじがわ)と呼ばれている川の中流にある。
落差は約4m(岩の傾斜含めれば長さは約5m10cm)である。滝壺の大きさは横幅約5m70cm、奥行き約3m10cmの、やや楕円形である。手前側の水深は1m強であるが最深部は数倍の深さがあると推測される。青椎滝を簡単に表現するなら「滝や滝壺も、そう大きくはないが自然にできた傾斜の滝で、山水がそのまま流れている清流の滝」と言える。この滝の直ぐ上には猪解石(ししときいし)もある (掲載日:2012年3月19日)
<関連詳細ページ>・(福重ホームページの)『青椎滝

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赤岩(あかいわ) 所在地:大村市重井田町、字(あざ)「赤岩」
  <概略説明> この赤岩について場所は同じながら地名上の字(あざ)「赤岩」と「重井田の天狗伝説」上の「赤岩」がある。天狗伝説では「天狗が天狗の飛び立ち石から飛んだ後、飛び方が下手で怪我をして赤い血を流した大きな岩やその周辺にある石のことである。地名の由来となった字「赤岩」周辺にある岩や石は太陽光線や雨水によって現在は昔ほど赤く見えないが、一部ながら今でも表面が赤味がかった石が見られる。この地名の西側方向にある字(あざ)「天狗通し(てんぐとおし)」も天狗伝説に由来していると思われる。 (掲載日:2018年11月23日)
<関連詳細ページ>・(福重ホームページの)『天狗に関係する地名の由来』 『天狗の飛び立ち石

赤島(あかしま) 所在地:現在はないが長崎空港建設工事前までは箕島と繋がっていた島
<概略説明> 赤島は長崎空港建設前まで大村湾内で箕島につながる島として存在していた。細長い小島で大村市の陸地側からは手前側にあったがろう島そうけ島が視界の邪魔をしていたため、あまり見れない島だった。赤島は箕島のほぼ中央部に位置し干潮時には陸続きになっていた。(大村)郷村記にある通り江戸時代当時は松の木が生えていた。この島名の由来は「松の木が多かった」=種類は”赤松”だったと推測されるが、そのこととによるものと思われる。1972(昭和47)年1月から長崎空港の建設が始まったが、その工事期間中に、箕島がろう島そうけ島とともに島としては存在しなくなった。 (掲載日:2013年7月6日)
<関連詳細ページ>・(福重ホームページの)『赤島


赤似田小堤(あかにた こづつみ) 所在地:大村市野田町
<概略説明> この堤(ため池)の築堤年代は不明である。ただし、この小堤の北側(上側)にある赤似田堤(大堤)の築堤<江戸時代初期の寛文年代(1661年から1670年頃)>より、相当後だと言われている。なぜなら「大堤よりの漏水があるため下側に小堤を造った」との伝承が地元に残っているためだ。堤の広さは目算ながら南北約30m、東西約25mと思われる。このため池から(水を供給する)耕作地(面積)は約平方305.8メートルである。(掲載日:2019年3月30日)
<関連詳細ページ・(福重ホームページの)『赤似田小堤』>


赤似田堤(あかにた つつみ) 別名:赤似田溜池(あかにたためいけ) 所在地:大村市野田町
<概略説明> 満水時面積:1.5ha 貯水量:104,000立方メートル 堤高:7.0m 堤長:90m 耕地:22ha 赤似田堤は江戸時代初頭の寛文年代(1661年から1670年頃)に、野岳湖などをつくった深沢義太夫の二代目(弟の)深沢勝幸にて築堤されたと伝聞されている。ここの水は重井田町の佐奈川内川(さながわちがわ、郡川の支流の一つ)から約2kmにわたる井手(用水路)により引かれている。この用水路は高低差のあまりない難しい工事だったと言われている。その後1940(昭和15)年頃に堤防のかさ上げ工事(約1m50cm)がおこなわれ、貯水量が増大した。耕作地はほとんど野田町(一部今富町も含む)の田んぼである。
(掲載日:2006年6月15日)
<関連詳細ページ>・(福重ホームページの)『赤似田堤


(赤似田堤)用水路改修工事記念碑(あかにたつつみ ようすいろ かいしゅうこうじ きねんひ)  所在地:大村市野田町
<概略説明> この赤似田堤への用水路は江戸時代からあったが、毎年の漏水
(ろうすい)などがあり、赤似田水利組合総出で改修作業をしてきた。しかし、それでも用水路の傷みや漏水が続いたため大村市からの補助金と地元負担によって大幅な改修工事(U字溝の設置やコンクリート工事など)を平成元年(1989)より地元の請負(うけおい)で工事を施工していた。約8年がかりの工事が竣工したのは平成9年(1997)3月で同年6月に竣工式を挙行した。その後この記念碑は建立されたものである。記念碑本体のみの大きさは高さ93cm、幅72.5cm、厚さ25cm、胴囲:1m95cmである。碑文には赤似田堤、工事状況や費用に至るまで詳細に彫ってある。赤似田堤周囲の市道から良く見えている。 (掲載日:2019年3月19日)
<関連詳細ページ>・(福重ホームページの)
(赤似田堤)用水路改修工事記念碑』 、 「赤似田堤

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赤似田堤の水神(あかにた つつみ の すいじん)  所在地:大村市野田町
<概略説明> この水神は江戸時代の寛文年間(1661年〜1670年頃)に、野岳湖などをつくった深沢義太夫(ふかざわ ぎだいゆう)の二代目(弟の)深沢勝幸(ふかざわ かつゆき)にて築堤された赤似田堤の北北東側にある。水神本体は高さ55cm 横幅22cm 胴回り79cmで、姿形は普通一般に見られる形式である。碑文には「明治三十二年  水神社 己亥年三月之建」<現代語訳:(赤似田堤の)水神(水神社)、明治32己亥(つちのとい、きがい)年(1899年)3月に之(これ)を建てた。>と彫ってある。建立寄付者は(1名の不明分を除き)全員が当時の野田郷に住んでいた人(=水利権者、農家)であった。水神本体の製作者は峯阿乗の碑と同じ吉江幸太郎氏である。
(掲載日:2013年2月3日)
<関連詳細ページ>・(福重ホームページの)『赤似田堤の水神


鮎がえりの滝(あゆがえり の たき)  所在地:大村市黒木町(郡川砂防公園の上流の左岸)
<概略説明> この滝は黒木公民館周辺から郡川の下流側方向へ直線で約150m下った左岸にある。そこは郡川砂防公園の上流部付近でもある。滝の落差は目測ながら5m位はあるようだ。滝壺
(たきつぼ)の広さは郡川の流れと一体に見えるので分かりにくいが横幅10m、奥行7m位はあるようだ。滝の形状は滝壺=郡川から数メートル上部までは、ほぼ直線(直角)に近いが、それよりも上部は傾斜をしている。ここの滝水は鳥甲岳(とりかぶとだけ、769m)の東側斜面)などに降った雨が流れ下っていて清流そのものである。(掲載日:2018年12月30日)
<関連詳細ページ>・(福重ホームページの)鮎がえりの滝

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安産祈願の千手観音(あんざん きがん の せんじゅ かんのん)  所在地:大村市弥勒寺町
<概略説明> 弥勒寺町、字(あざ)「清水(しみず)」にあり、産地直場所のシュシュ入口から直線で300m南側へ下った所である。また、大きい岩壁に彫られた清水の線刻石仏の左側(西側)約5m先でもある。この千手観音の建立年代は江戸時代に編さんされた(大村)郷村記に記述されていないので近代になってからと推測されるが、正確には不明である。この観音は昔から福重内外の人びとから「安産祈願の観音様」と呼ばれ、参詣されてきた歴史がある。土地所有者の方が、代々、大事に祭っておられる。ただし、何故ここに安産祈願の観音が建立されたのかと言う理由は地域伝承として残っていない。千手観音本体のみの大きさは、高さ45cm、横幅23cm、胴囲80cmである。
(掲載日:2017年4月28日)
<関連詳細ページ>・(福重ホームページの)安産祈願の千手観音』 、 「清水の線刻石仏

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ご注意:この大村辞典(大村歴史観光辞典)は『はじめに』のページでも書いていますが、個人で作成している関係上、用語、内容や解説について、あくまでもご参考程度にご覧下さい。なお掲載後も記述内容などに間違いがあれば、その都度変更していきたいと考えています。

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